妹の花梨(かりん)からの連絡がないと母親から連絡があった。
聞けば夏休みが開けたというのに大学にも行ってなさそうなのだという。
万が一ということもあるから、ということで同じく東京に出て就職している私のもとへ連絡があった。
「あの子がメッセージ返さないなんてね」
姉の私から送ったメッセージも既読になることがない。
翌日、持っていた合鍵で花梨の部屋に入るが、しばらくは人の住んでいた気配がなさそうで、部屋の隅にはうっすらホコリが被っていた。
「ん…?」
ミニテーブルにおかれていたのはパンフレットと旅行の日程表だろうか。控え用、と冒頭に書かれた紙には2泊3日の旅行工程が記されている。
見回してみれば花梨が持っていた旅行用のスーツケースがない。
なんとなく冷蔵庫を開けてみれば賞味期限が短そうな食品は見当たらず、綺麗に整頓されていた。
「あら、ここって」
工程の最終日に書かれていた牧場見学。
ここはたしか数日前にテレビでもやっていた隣県にある有名な牧場だった。
良い牧草でミルクが美味しい、みたいな。
「……」
他の工程も確かめるが危険そうな場所も、スカイダイビングみたいな危険な行為も書いていなかった。
花梨はおらず、しばらく帰っていなさそうだ、という親に報告をする。
少し悩んでいたが、親は明日警察へ行くらしい。
私もそうしたほうがいいだろうな、と思う。
電話を切った私は花梨の残していった旅程表に目を落とす。
カムイ牧場。
旅行にでかけた形跡があって、帰ってきた形跡がないのであれば
この牧場の人たちに聞けばわかるかもしれない。
「って嘘でしょ。電話番号書いてないの?」
スマホで調べてみても乗っているのは住所だけ。
私は不審に思うが、仕方ない。
私は会社へ明日休む連絡を入れた。
ーーー
翌日。
始発から乗り継いでそのカムイ牧場にたどり着いたのは昼下がりであった。
バスを何度も乗り換える羽目になるとは思わず、途中で何度か帰ろうかとおもったぐらいだ。
山奥過ぎるのか、携帯電話のアンテナ感度もイマイチだ。
「ようやくついたわ。ここね…」
簡易な柵に囲われて、シンプルにカムイ牧場、と書かれた看板が掲げられている。
牧草が一面に広がっており、小高い丘の上の方に大きな厩舎があり、その奥に人がいそうな建物が建っていた。
見回してみるとちらほらと牛が放牧されている。
その数は見えるだけで百頭ほどだろうか。ものすごい数だ。
「…あら?あれって…」
牧場の隅で壊れかけた柵を直している人たちが数人ほど見える。
その中に1人、見慣れた背格好の少女がいた。
「…花梨!」
私は大声で叫んだ。
その声が聞こえたのか、修理していた人たちが一斉にグリン、とこちらを向いた。
その反応に私はビクリ、と体を震わせる。
な、なんなの…?
花梨もこちらをじっと見つめている。
まるでこちらを値踏みするような視線。
「花梨…?」
不安になったものの、私は彼らの方へ歩みを進めた。
ーーー
「そうですかそうですか!花梨さんのお姉さんでしたか」
あれよあれよという間に代表者の部屋に案内される私。
花梨もいつもの間にかいなくなってしまっていた。
「あの…花梨はなぜここで…働いているのですか?」
「それはごもっともな心配です」
代表者の老人はニコリ、と笑う。
少し前に見学にきた花梨はこの牧場の素晴らしさに感動して数日働かせてくれ、と言ったのだという。
「数日、だったはずだったんですが彼女もかなり気に入ってしまったようで、人手も足りてなかった我々もそれに甘えてしまって…」
申し訳ない、と笑顔で謝る老人に私は怪訝な顔をするしかない。
「まさかご家族にご連絡を入れてなかったとは…私共の責任でございます」
深々と頭を下げる老人。
そこまでされるとは思わず私は少し慌てる。
「あ…いえ、ひとまず状況は理解できましたので…」
スマホをチラリ、と見るが圏外で通話も、メッセージもできそうにない。
親に無事だ、という連絡を入れたかったが…。
「申し訳ない、当牧場は電話みたいなものは麓の事務所にいかないとないのですよ。それよりどうでしょう。花梨さんの働きを見てみては」
「働き…?」
「ええ。彼女が最近とりあげた、子牛が1頭おりましたね。親牛といっしょに世話をしているのですよ」
「はぁ…」
背中を押されるように事務室を出ると、そこには作業服姿の花梨がいた。
「こっち、こっち」
手を引かれるように案内される。その表情は笑顔で無垢なようにも見える。
花梨ってこんな子供っぽい子だったかな…。5年ほど前に家を出て1年に1度しかあっていなかったせいもあってかよくわからなくなってしまっている。
それに親に一切相談せずに通っていた大学を放って住み込みで働いちゃうなんて…。
あとでこの子からもちゃんと状況を説明してもらわないと。
お給与とかどうなっているのか、大学はどうするのか。
親にはなんと言うつもりなのか。
そうこう考えている間に1つの部屋に通された。
「ここにいるの…?なにもないけど」
通された部屋にはなにもない。
奥にさらに扉があるが厳重な南京錠がかかっている。
「そこから、覗けるの」
そのドアには不釣り合いな球が埋め込まれていた。
占い師がつかっている水晶のような、透明のボールサイズの球が半分ほどドアの壁面から顔を出している。
のぞき穴にしては大きすぎるけど…。
「ほら、ほら、見てあげて」
ぐいぐい、と背中を押される。
私は言いたいことを飲み込んで、仕方なくドアの前に立つ。
片目を閉じて水晶を覗き込む。
そこから見えるのは暗い部屋。
大きな牛の巨体が見えた。どうやらこちらは母牛のようだが…?
「いないわよ…?」
「よく見て、よく見て。小さいから」
そういえば生まれたばかりの子牛、といっていた。
大きな牛の下、足元付近に小さく動く牛が見えた。
あれかな…?
私はよく見てみようとさらに顔を水晶に近づけていく。
子牛がこちらの視線に気がついたのか、ぐるり、とその体をこちらへ向けたのがわかった。小さな体ではあるが、牛ということがわかる。
子牛の顔がこちらを見上げるように向いた。
つぶらな瞳がこちらを覗き込む。
私はその綺麗な瞳から目が離せなくなる。
もっとよく見なくちゃ。
身体をどんどん水晶へ近づけていく。
眼球が水晶に触れるか触れないかぐらいまで密着していく。
その瞳を…見せて。
私の視界はその子牛の瞳でいっぱいとなる。
ぐっと何か、押されるような感覚。
水晶にぶつかる、と思った瞬間、私はそのドアを突き抜けたような…気がした。
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(…あれ、ここはどこ?)
あたりは薄暗く、獣臭い。
倒れている身体にチクチクと草が当たっているのがわかる。
その感覚にあわてて身体を起こそうとするが…。
バタッ。
上手くバランスを取れずに再び牧草の上に身体を倒してしまう。
(…た、たてない…?な、なんで?)
いつものように起き上がろうとしただけなのに。
だが、倒れ込んだ私の視界に入ってきたのは、いつもの肌色の5本の指がある手のひらではなく…黒く硬い…2つの塊だった。
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代替労働を思い出す
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