2019/09/08

魔法使いの姉はめんどくさがり

僕の姉は魔法使いだ。
魔法使い、という言い方が正しいかどうかはわからない。
なぜなら姉以外にこんな不思議な力が使える人を見たことはないからだ。
魔法、以外に例えようがないので僕は心のなかでそう呼んでいる。

姉の魔法があれば世界は変わるのではないか、と思う。
一瞬で他の場所へ行ったり、物を作り出したり。
1日に使える回数が決まってるのよ、とはいっているがそれでも世界はひっくり返るだろう。
だが、姉はそういうことをしない。
家族以外にその魔法の力を見せびらかすようなことをしなかったのだ。
親も平穏を望む姉の願いを叶えるためにその力に頼るようなことをしていない。

僕の姉はめんどうくさがりだ。
怠惰という言い方が正しいだろう。
彼女はなにをするにもやる気がなさそうに動く。
昔、ご飯を食べるのもめんどくさがって、直接胃に栄養分を転送させているのを見たことがある。
その姉は最近さらにその怠惰を加速させてしまったのだ。

「…姉ちゃん起きてる?」

姉の部屋の扉を開けて僕はふう、とため息をつく。
僕と姉の部屋は隣同士で、夕飯を食べ終えた僕は部屋に戻る前に姉の様子を確認するのが日課だ。

「んあ。起きてるよー」
「今日もその恰好なんだね…」
「んーこのほうが楽だしー」

ベッドの上に寝転がっているのは大きなぬいぐるみ。
姉の姿に似たそのぬいぐるみは、うつ伏せで本を読みながら不思議なことにパタパタと脚を動かしている。そして姉の声はそのぬいぐるみから聞こえている。
…そう、姉は自分の魂を、自分に似たぬいぐるみに移しているのだった。

「もう。びっくりするからやめてよ…」

僕は今でこそなれてきたが、最初はもふもふの大きなぬいぐるみが、もぞもぞと動いているのをみて腰を抜かしたものだった。
…あのときは部屋が暗かった、というのもあるが。

「えーでも。この格好だとお腹減らないし…」

そう、面倒くさがりな姉は食事すら面倒臭がる。
お腹の減らない無機物に変身して本を読み続けるのが趣味になっている。

「汚れないしー」

ぬいぐるみは汗のような分泌物は一切でない。
お風呂を面倒臭がる彼女にとってその身体は好都合なのであった。
世界を変える可能性をもっていた姉は、その力を自分の怠惰のためだけにつかっているのだった。

「トイレいかなくてすむし」

食べなければ出ない。
…そもそも排泄をするための器官をぬいぐるみは備えていないのだが。

「とはいえ…」

ちらり、と部屋の隅にまるで物のように置かれている"姉"を見る。

「自分の身体をここまでぞんざいに扱えるなんて…」

足を広げたまま壁にもたれかかり、虚ろな視線を天井に向けている"姉"の身体だ。
姉の魔法でこの身体の時は停止している。
まばたきもしなければ呼吸もしていない。
まるでマネキンのように放置されているのだった。

「んー?別にいいじゃない。自分の身体をどう扱おうと」
「そりゃそうなんだけど…」

身内の贔屓目ではあるかもしれないが、姉の容姿はかなりよい。
そんな美少女といって差し支えない姉が、身動きを一切せず物のように置かれているのは…もやもやするものがある。

「っていうか最後に戻ったのいつ?」
「えー?先月?…いやもっと前かな?忘れちゃった」

そういう僕も、この姉が最後に動いているのを見たのはいつか、正確には思い出せない。

「ほら…埃かぶり始めてるじゃん」

キレイな黒髪の上にうっすらと白い繊維のクズがたくさん。
手でぱっぱと払うとふわりと舞い上がる。

「いくら時を止めてるからってホコリとか汚れみたいなのはつくんだよ?ほら、この服もちょっと黄ばんできてる」
「んもー。うるさいなあ。我が弟くんは」

読書の邪魔をされて苛立ったのか姉は本をパタン、と閉じる。

「そんなにいうならその身体、綺麗にしといてよ」
「え?拭いたりはしてるよ?」
「いやいや、そうじゃなくて」

ぬいぐるみの手がポン、と柏手を打つような体制をとった。
目に見えない力がそこに発生したのが、なぜかわかった。

「はい、あとはよろしくー」
「え…?」

姉のぬいぐるみは再びベッドに横になって読書を再開し始めた。
いったいなにがおきたのだろうか?

ふと、僕は壁にもたれかかってる"姉"の身体を再び見た。

「ってえええ?」

"姉"の身体だったその置物は、いつもまにか別のものにすり替わっていた。
髪の毛は短いし、身長…体型は一回り小さい。
姉に似たその顔つきの人物は…

「え?僕?」

え?じゃあ今の自分は…。
ふと、隣の姿見に目をやる。
そこには久しぶりに動いている姉の姿があった。

「え?え?」
「もう、うるさい!さっさと綺麗にしてきて」

そこらじゅうから何かが飛んできて僕の顔や身体に巻き付く。
そして背中を謎の力で押されて部屋から追い出された。
床に落ちているのは姉の着替えとバスタオル。

「…まさか自分の身体を人に洗わせるなんて」

一体どこまで怠惰なんだろう。
僕はため息を付いて、着替えとタオルを拾う。
姉の部屋ドアをノックしても返事はないし、ドアは開かない。

どうやら事を済ませるまで、姉は僕の身体を人質にしているようだ。

「まったく…とんでもない姉だよ」

再び僕は深くため息を付いてバスルームをトボトボと歩き出した。

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