夏休み直前の日差しはまっすぐ突き刺さり、容赦なく温度を上昇させていく。
教室に冷房が入るようになったとはいえ、その設定温度と生徒の人数のせいで涼しいという感覚からは程遠い。
さらに…。
(ぐ…む…ぬぬぬ…)
アコは密閉された空間で暑さに苦しんでいた。
冷房から発せられる冷気は制服に阻まれて一切入ってこない。
そのうえ自分の身体にピッタリと張り付いたまま身動きできないのだ。アコの身体は伸縮性の高い水着となっており、持ち主の身体の凹凸を少しも逃さず覆っている。
そして水着は基本速乾性を持っていた。水を吸いやすく、そして乾きやすい生地で構成されているのだ。
水着の裏地に接した皮膚から溢れ出るように出てくる汗は、その裏地を通って表面を濡らして、外部へ発散していく。
自分の汗が身体を通過していく感覚にアコは悶絶する。
(暑いし…!蒸し蒸しするし…!くさいし!)
口や鼻、目の組織がないというのに、鼻はひん曲がりそうで、口や目はその空気で痺れてしまいそうだ。
人間の身体から出た汗は最初は無臭にちかいが、しばらくすると空気中の菌が入り込み繁殖して臭いを出すようになる。
周りからは全く気が付かれないような、ほんのかすかな量ではあったが、密着しているアコにとっては拷問に等しい臭いとなった。
(だいたい…私の真似をしているこいつは…一体誰なの)
私に成り代わって、授業を受けているのだ。
その振る舞いは私にそっくりで、クラスメイトは誰も気が付かない。いや、誰もまさかこんなことになっているなんて思いもしないだろうが。
身動きできず悶々としているとようやくチャイムが聞こえた。
(…やっと1限目が終わったの…?)
一息つくまもなく、”私"は友人たちと一緒にワイワイと話しながら移動を始める。そう、2限は水泳なのだ。
「え、なにアコ。水着着てきてん」
「ウケる。小学生かよー」
「えっへっへ」
(気がついてよー。私はここだよー)
喋ろうとしても口の感覚は一切ない。
仕方なく心で強く念じるが、それは徒労に終わる。
シュルシュルと衣擦れの音とともに、視界が広がった。
やはりというかそこは見慣れた更衣室だった。
(うー。暗闇だからアレだったけど…)
視界がはっきり見えるのに動けないというのは、やはり不安にさせる。手足の感覚すら失われ、感じられるのは水着が触れている部分…自分の身体の輪郭のみ。
1ミリも動かせない繊維の身体は、"私"の柔軟体操に合わせてギュギュっと伸縮する。
準備体操がおわり、順番に皆が列をなして25mのプールを片道で泳ぎ始める。
ドボン、と水に入る音とともに、身体中に水が染み込み重くなる感覚。
身体が数倍以上に重くなった気がする。
そして25mを泳ぎ終わってプールから上がるときに、染み込んでいた水が、重力に従って身体中をつたって太ももの付け根から出ていく感覚に悶そうになる。
(あ、あひっ…ちょ。ちょっともうちょっと…ゆっくりあがって…)
そんなお願いも"私"には届くことはなく、全力で泳がれ、全力でプールサイドに上がるのことを繰り返された。
(や…やっと…終わった…)
全身が何度も何度も洗われるような拷問もようやく終わり、"私"たちは再び更衣室へ向かっていく。
私はそのときまで失念していたのだ。
そう、水泳が終われば自分が脱がされてしまうことを。
ぐいっと肩紐を引っ張られ、肩から外される。
脇の部分を捕まれそのまま力任せ下に引っ張られる。
スポン、という感じで私は"私"の身体から引き剥がされた。
身体の中に入っていた"芯"を失った私の身体はくしゃくしゃになって小さく小さくなってしまう。
(えっ、ちょっと…まっ…)
目まぐるしく変わる風景、私が最後に見たのは使ってたバスタオルの生地だった。
(ぐにゅ…)
水切りもほどほどのままに、私はタオルと一緒に水泳バッグの中へ突っ込まれる。
塩素の匂いが時間が立つにつれ、水が腐っていくような匂いで充満していく。
(う…軽く水洗いしたほうがいいって…このことなのね)
先日の母親の小言を思い出してしまう。
その後、私はそのままとうとう気を失ってしまったのだった。
---
(はっ…?)
気がついてガバっと身体を起こす私。
「手…がある?」
目の前で手をニギニギする。
パチパチと瞬きをしてみる。立ち上がって片足をあげてみる。
間違いなく自分の身体だった。
「夢…だったの?」
それにしてはリアルな感覚だった。
あの授業中の空気、泳ぎの感覚、そして匂い。
すべてが現実だったように感じる。
「…ま、そんなことないか」
ふと、なにやら視線を感じて壁の方に目をやる。
そこには母親がやっておいてくれたのだろう、水着の陰干しがされていた。
「…ま、まあ。塩素まみれでほっとくと生地悪くなっちゃうもんね」
明日からちゃんと水洗いして、家に戻ったらすぐに洗濯置き場に置いておこう。
そんな気持ちになったアコなのであった。
………
……
…
「あー。学校なんて20年ぶりだったから楽しかったわぁ」
アコが寝ていた階下で、楽しそうにつぶやいたのは母親。
自分の娘の魂を水着に閉じ込めて、代わりに自分がアコの身体へ入っていたのだ。アコのことは十何年も見ているし、友人関係も把握している母親はボロを出すことなく1日アコを演じきったのだった。
「10代の若い身体はいいわねえ。体力無限って感じで…。またなにかあったらお仕置きしちゃおうかしら、うふふ」
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