2019/05/20

空気(魂)入れ (1)


「ただいまー」

聞き慣れた声が玄関から聞こえてきた。
時計を見上げれば時間は夜7時。どうやら軽い外食でもしてきたようだ。
声の主は私がいるリビングに入ってくる気配はない。どうやらそのまま洗面所へ向かったようだ。
私に出来ることはなく、待ちづつけるしか無い。

(…はぁ、なんでこんなことになっちゃったんだろ)

しばらく待っていると手に青と黄色の蛍光色をした空気ポンプを手にした女性が部屋に入ってきた。
そのポンプを"萎みかけて"いた私の背中へ差し込む。

シュコシュコシュコ…

無言で空気ポンプを踏む女性。
その女性の容姿は…"私"そっくり…いや、私そのものだった。

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事の発端は一週間前。
父親から、私に送られてきた怪しげな小包。
旅行好きな父親はたまにこうしてお土産を送ってくる。部族の怪しげなお面だったり、朽ち果てた遺跡から拾ってきた石だったり、大抵はどう扱っていいか悩むものばかりだった。

今回はなにか違った。
手触りがビニール…浮き輪みたいな感触だった。
取り出してみれば、それは手や脚があるように見せる。
だらんと垂れ下がったそれを持ち上げてみれば、空気を入れる給気口がある。

「…何かしらコレ」

その時私は"ダッチワイフ"というものを知らなかった。
一緒に同梱されていた空気入れをつい、その人形に差し込み入れてしまったのだ。

ぶくぶくと膨らんでいく人形。
手や足はよく見れば指などなく、筒のまま終端しており、
胸には取って付けたような空気袋でおっぱいが表現され、頭部を見てみれば髪の毛や目は安っぽい表面の印刷で顔が表現されていた。
口と股間…とお尻の3箇所はぽっかりと穴が空いている。

それを知らなかった私も、ここまで見れば「そういう用途」で用いられる物であると察することができる。

「お父さんったら…なんでこんなものを送ってきたのかしら」

私はこのとき、箱…人形が入ってた箱の中に残っている父親からの手紙をしっかりと読むべきだったのだ。
「預かっていてくれ、決して膨らませるな」という内容だったのだから。

パンパンに膨らんだ人形から、空気入れを引き抜こうとする。
その手が一瞬ピクリ、となにかに躊躇した。
本能からの警告だったのかも知れない。
だが、その時の私はさっさと空気を抜いてこの人形を片付けたかった。
スポン、と空気入れを引き抜いた。

その瞬間景色が切り替わった。

部屋の窓側を見ていたはずの私の視界はリビング中央に切り替わり、目の前には何かを手に持った女性が現れた。
急に現れた人影にびっくりして声を上げる。

「え?だ、だれ?」

そう叫ぼうとした自分の口から出たのは声ではなく、ただの空気の流れ。
スッーっと抜けるような空気の音だけ。
慌てて逃げようとしたがどうも身体が思ったように動かない。
関節がすべて何かで固定されてしまったような感覚に戸惑う。

(…え?わ、わたし…?)

少し落ち着いて目の前の人影…女性を見てみれば手には先程まで自分が持っていた空気入れ。そして見たことのある服装に、鏡で見慣れた顔。
そう"私"だった。
"私"は虚空を見つめたままじっと固まっていたかと思うと、しばらくしてキョロキョロとあたりを見回し始める。

(え…え…?なんで私はココにいるのに)

一体何が起きているかが全く把握できない。
そして私と"私"の目が合うと、"私"はにっこり微笑んだ。

「あは、あなたが魂を入れてくれたんだ?」

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要するにあの空気入れはタダの空気入れではなく自分の魂を詰め込む道具でもあったということだ。
私は間抜けなことに、この情けないダッチワイフに自分の魂をせっせと移してしまっていたのだ。

そして代わりにダッチワイフに入ってた魂は追い出され、抜け殻の"私"に入り込んだというわけだ。

それからというもの"私"はその空気入れをどこかに隠してしまい、私はビニールでできた情けない身体で生活を余儀なくされている。

わずかに動くことができるこの身体で、"私"が仕事にでかけている間に部屋中を探そうとしても、中身が空気の身体では戸棚の扉をあけることすらできず、リビングから出ることももちろん不可能だった。

その動きも緩慢でかつ制御が難しい。
ちょっとした部屋の空気の流れ…例えば換気扇からの空気の流れだけでも体感的にものすごい力で押された感じがするし、物に触れれば元の身体からは考えられないような反発力で弾き飛ばされるのだ。

そしてこの身体、微妙に密閉が甘いのか徐々に空気が抜けていくのだ。
魂が抜け出て死んでしまう…ということはないようだが、時間がたつにつれ力なくしぼんでいく風船のような身体は夕方になれば自分で身動きできないシワシワの状態で地面にべったりと張り付いてしまうのだった。

夕方にはそんな私を見て、"私"が空気入れで膨らましてくれる。
もちろん魂を入れる空気入れじゃなく、ただの空気入れ。青色の蛇腹でできた本体と黄色い給気口のついた、ビーチやプールでよく見るやつだ。
私を乗っ取るならさっさと空気を抜いて仕舞ってしまえばいいのに、なぜか毎日毎日丁寧に空気をめいいっぱいいれてくれるのが不思議だった。
…私と会話をしてくれたのも入れ替わってしまった直後の一言だけで、それからは一切喋ってくれない。
私の身体を使っているあなたは誰なのか、何が目的なのか。私の代わりに日常…仕事にはいっているようなのだが…。
何一つわからないまま、時間だけが過ぎていくのだった。











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続くかどうかは未定

1 件のコメント:

  1. お父さんはなぜそれを送ったのか変わってしまった彼女は,なぜ毎日空気をいっぱい入れてくれるのか知りたいばかりですが,最後なので残念です。

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