(あまり山場もオチもない平凡なお話なので注意)
とある女子が座っていた席は今日は空席だ。
その女子の友人たちは彼女の空いた机を横目に、ひそひそと話している。
「声泥棒、でたんだって」
どの都市にも1つや2つ、怪奇な人物や出来事が噂や言い伝えみたいな形で残っていたりする。それらはどれも他愛ない、ただただイタズラに恐怖を煽るだけのもの…だったはずだった。
この地方に伝わる怖い話の1つに声泥棒、というものがある。
帰り道、1人で帰っていると背後から声をかけられる。
後から聞けばそれは男にも聞こえるし、女にも聞こえる不思議な声色だという。
「いりますか、いりませんか」
ここで「いらない」と答えてしまうと声を奪われてしまうのだという。声がいるか、いらないか、ということなのだろうか。
彼女は知らない人から物をもらってはいけない、という当たり前の常識から「いらない」と答えてしまったようなのだ。
「ありがとう」
自分の声が目の前の人影から発せられ、自分の口から声が、音がでなくなっていることに気がついたときにはもう遅い。
自分の声で歌いながら人影が遠ざかっていく。
呼びかけて止めようにも自分の声はかけら1つもでず、恐怖で身体は動かない。
彼女はどう帰ったのか、気がつけば家の前にいたのだという。
声が出ないことに本人よりも両親たちが驚き、病院へ。
原因もわからずそのまま検査で入院…という流れらしい。
「部活もしばらく休みますって…」
「もうすぐ合唱部のコンクールだったのに、かわいそう…」
そう、彼女は合唱部のキャプテンをしていた。
放課後の学校に響き渡る彼女の凛と澄み切った声を知らない学生はいない。
それほど素晴らしい声が一瞬にして失われてしまったのだという。
だが僕は。
(…あほらしい。風邪か何かで喉を悪くしたのだろう)
常識で考えれば声を奪う、なんてことができるはずがない。未だに根も葉もない話をし続ける女子達から意識を切って、僕はカバンを背中にひっさげて教室から出ていく。
数日もすれば彼女も元気に登校してくるはずだ。そうすればこんなくだらない学校の怪談のような話もまた鳴りを潜めるだろう。
ーーー
(あれ…)
ぼーっとしていただろうか。
ふと気がつけばいつもの帰り道と違う道に入り込んでしまっている。
そして映画の画面転換でもあったかのように、急に目の前に現れる黒い影。
「うぇ…」
な、なんだこいつ。
身長は…どれくらいだろう。僕より高い…いや低い?
なんだろう輪郭がはっきりしないせいなのか、それとも黒いせいなのか、目の前の怪しい人物のサイズがつかめない。
『いりますか、いりませんか』
…なんだって?
高いのか低いのか、大きいのか小さいのかわからないような声が周囲に響く。
…1人で喋っていないような、そうまるで大人数で合唱をしているかのような声だ。
(…合唱?)
合唱、というキーワードでふと我に返る。
女子達がしていたくだらない噂話。
…これはまさか"声泥棒"なのか。
だとすると危なかった。
なにせ今の今まで気をしっかりと持つまで、どこか頭にモヤがかかったような一種の軽い催眠状態のような気分だったのだ。オヤジのビールを隠れて飲んだ後、しばらくふわふわとした状態のあれに近い。
『いりますか、いりませんか』
再び目の前の黒い影が問いかけてくる。
相変わらず声は低かったり高かったり…
色々な声が混じっていてよくわからない。
まあ、いい。答えるのは一つだ。
「いります」
そう、これは"自分の声がいるか?いらないか?"という問なのだ。
いらないと答えれば不要だとして持ち去られる。
いる、といえば
『そうか、じゃあ、やる』
へ?
目の前の人影は、自分の腕を軽くつまむように引きちぎる。
そして綿あめのように分離した黒い影を、僕の口に向かって放り投げたのだった。
実態のない影が煙のように僕の口にまとわりつく。
慌てて口を手で覆うが、その影は隙間という隙間から僕の口へ入り込んでいく。
あっという間に影は僕の身体の中に吸収されてしまったのだった。
(……あ、あれ?)
気がつけば目の前には家。
後ろを振り向いてもそこにはいつもの変わらぬ、見慣れた道が続いている。
(…なんだったんだ、まったく)
夢…?僕は軽くため息をつく。
その吐き出す際に漏れた声にすこし違和感があった。なんだ?
喉を擦るがそこには成長期を終えた、喉仏がある。
喉の中がイガイガするというわけでもなく、痛みがあるわけでもなかった。
(…とりあえず家に帰るか)
目の前の扉に手をかける。
鍵はかかっていなかった。どうやらおふくろがもう帰ってきているようだ。
どっと疲れが溜まっている。
さっさと入って風呂にでも入って…。
そう考えながら僕は扉をくぐって、リビングにいるであろうおふくろに大声を出す。
「ただいまー」
僕の喉から発せられたのは、今まで自分で出したこともないような高い、まるで女の子のような、どこがで聞いたことがあるような、でも少し違う感じもする声だった。
ーーー
「まったくもって理解できません」
目の前の白髪の生えた医師が両手を上げ降参のポーズをする。
「喉仏や声帯、そういったものからどう見ても変声期を終えた男性のはずなんです。でもそこから出てくるのは…」
机の上に置かれているのは僕のスマホ。
そこには制服を着た大勢の男女が壇上に並んで 歌を歌っている。
しばらく合唱が続いた後にすこし間奏がはいり…そこから彼女の"ソロ"が始まる。
「この声に瓜二つなんです」
医者が声のスペクトル解析をした2枚の用紙を取り出す。
1つは彼女の合唱や普段の動画から取り出したもの。そしてもう1つは僕のもの。
その波形は見事に一致していたのだった。
自分の声を直接出しているときは少し音が高くなるようで結果に納得がいかなかったのだが、改めて録音したものを聞かせてもらうと双子のように声がそっくりだったのだ。
「確かに、似てますね」
「はい、99%同一人物の声、と言っても差し支えがないです」
「…どうしたもんですかね」
「わかりません、現代の医学ではこれ以上なにもできません。彼女の声を取り戻せないのと同様に、あなたの声ももとに戻すことはできないのです」
医者がさじを投げる。
まさか声泥棒に「いります」といったら彼女の声を与えられた、なんて言っても誰も信じないだろう。いらないといえば声を奪われ、いるといえば頼みもしない声を与えられる。
(…どっちを答えようと自分の声は失われるんじゃないか。とんだ詰みゲーだ)
とぼとぼと病院の廊下を歩いていく。
ふと気がつけば目の前には泣きそうな顔をした彼女がいる。
彼女には合唱や音声のデータを提出してもらうために、僕に起きた事情をすでに話してあるらしい。
こちらをじっと見たまま動かない。僕も動けない。
僕は彼女になんと言えば良いのだろうか。ごめんなさい?いや僕が謝るようなことじゃない。自分で願って与えられたものではないのだ。
…彼女の失った声で、彼女に話しかける事自体が一番つらい仕打ちなのではないか。
そんな思いがぐるぐると周り、僕も沈黙する。
彼女は手に持っていたメモ帳になにかを書き記していく。
どうやら普段から筆談するために持ち歩いているようだ。
"声を、聞かせて"
短い文で書かれたそのメモは僕をさらに悩ませる。
僕の拙い脳のCPUが弾きだして、紡ぎ出した声はやっぱり。
「ごめん」
だった。
彼女は僕に殴りかかったり、ひどい言葉を(紙に書いて)ぶつけるようなこともしなかった。ただただ、つぅ、と目から涙をこぼす。
「その…声泥棒に、いりますって言ったらこうなっちゃって」
軽く頷く彼女。
絶望と嫉妬が軽く混じったような、そして悲しみに覆われた顔。
彼女のかすかな希望-声泥棒に出会い声を返してもらうこと-は無残にも押しつぶされた。目の前に自分の声を持った人間がいるのだ。
最低でも3回、僕が返して、彼女が受け取り、僕が更に受け取る、という手順を経なければ元の鞘に収まることはないのだ。
そうそう都合よく自分の声を貰える、とも限らない。…あの人影から発せられる多くの声が重なったような声は、つまりはヤツが過去に盗んだ声のすべてなのだろう。
どうやったら出会えるのか、…そもそもまだ出会えるのか。それすらもはっきりとしない。記憶の中にある声泥棒の姿かたちも曖昧なままなのだ。
自分の口から発せられるこの女の子の声でなければ、夢でも見ていたのだろうと思ってしまうぐらいそれほどに曖昧な出来事。
"でも、私はその声でまた、喋りたい、歌いたい"
「うん…わかってる」
そして僕もこの声ではまともな生活を送ることができないのは分かっている。
どうみても男の顔、体格なのに発せられるのは美しい女性の声なんて奇異の目でしか見られないだろう。芸能界みたいなところであれば居場所はあるかもしれないが、そんなものに僕は興味がない。
"お願い、返して"
「約束はできないけど…ね。ヤツに会えるかどうかわからないから」
それでもいい、と彼女は強い目で見てくる。
一度声を返す、ということは一度僕は声を失う、ということだ。
彼女は声がでなくなる恐怖を知っている。 心優しい彼女は僕にそれをやれ、というのには勇気が必要だっただろう。
ー願わくば、僕の声が誰かの手に渡っていないことを祈る。
終
ーーーおまけーーー
あれから半年がたった。
状況は一切替わることがない。
再び声泥棒に会うようなこともなく、他での目撃情報すら上がってこない。
彼女は学校を休んだままだし、僕は先生に当てられることがないかぎり会話をしなくなった。
彼女の声は彼女が発するのだから魅力的なのであって、僕のような見た目からその声が出ても気持ち悪いだけなのだ。
事情を知らない人が僕の声を初めて聞くとかならずぎょっとした顔をしたり、何だコイツは、という一歩引いて観察するような目で見られるのだ。
「あーあー。はーいこんばんわー。リサリサでーす」
僕は意識して高い声を更に高く、そして若干アニメ風に幼い感じに寄せた声色を出す。
一月ほど前から始めた動画投稿。
普通であれば10回も再生されないであろう自分のゲームプレイ動画に、自分の声を載せただけ。それだけで再生数は万を超えた。
意識して元の声と雰囲気を変えているので知り合いにバレるようなことにはならない。
今はゲームをプレイしながら リアルタイムに閲覧者から来るメッセージに対応している。
「えー?何でも言うっていったけどこれはちょっとなー?」
と少し渋れば是非、とメッセージとともに投げ銭がされる。
「しょうがないなー。…ん、んーコホン。好きだよ、##さん!」
名前をつけて告白してほしい、という要望に答えるだけ 。
すこしだけ感情を載せるだけ。コレを繰り返すだけで僕は月のお小遣いは何十倍にも膨れ上がった。
(なんだよ、女の子の声ってだけでみんなちやほやして)
とはいえ、視聴者もまさか男がこんな声を出してるとは思いもしないだろう。
ボイスチェンジャーのようなノイズもない、クリアな音質に対して中の人の性別を疑うような発言は湧くことはなかった。
"で、これはなにかしら"
彼女はこちらをジトリとした目で見つつ淡々と書いたメモをこちらに見せてくる。反対側に手に握られているのはスマホで、画面には僕の実況動画が表示されている。
「あー、それはその」
聞く人が聞けばわかってしまうものだったようだ。
…というより本人の声なのだからどれだけ変えようが分かってしまうものなのだろうか。
"なぜ、歌ってみた、をしないの!"
そこかよ。
"私の声なら百万再生も硬いわ"
かもしれない。
だが、残念なことに。
「歌ってみようか?あーあー。♪~」
そこから紡がれるのは音程を外しに外しまくった歌声。
その絶望的な音痴に彼女の顔が歪む。
俯いたまま ふるふると震える彼女。
歌うセンスや音程のとり方は僕のままなのだ。
彼女の声がいかに美しく素晴らしいものであってもその土台が腐っていては元も子もないのだ。
"ゆるせないわ"
メモ帳にかき殴った文字をこちらに突きつけてきたかと思うと腕を引っ張られる。
この日からなぜか彼女の特訓を受けることになる。彼女は声を出せないハンデがあるのに驚異的な指導力を発揮し、みるみる上達した僕は動画配信サイトで100万再生を突破し、あらたなインターネット歌手とそのプロデューサーとして名を馳せることになるのだがそれはまた別の話。
声は人を認識ための印であり、声だけの取り合いはなかなかいいアイデアです!
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