あれ、私どうしてたんだっけ。
視界に入ってくるのは自分の部屋。
いつの間に寝たんだっけ…?
いや、違う。
たしか放課後にクラスの糸田さんに話しかけられて…。それから。
思い出せない。
糸田さん。
クラスで一番太っている女子。
ぽっちゃり系、なんて本人は言っているけどまあお察し、な体型だ。
その彼女からなにか差し出されて…
そこから記憶がない。
とりあえず起きる…ってあれ。
手足が動かない。
いや、手足だけじゃない。身体全体が、視線も含めて一切動かなかった。
(え、なに、これ…)
ここで自分が寝ているのではなく、座っているらしい、ということに気がつく。
ベッドの上に両足を投げ出して座っている感覚がある。
手は前方に突き出している…感覚がある。
キョンシーのように突き出しているように感じる手は疲れを知らず、まるでそこで固定されてなにかに支えられているような、そんな状態だ。
混乱していると、目の前の扉が開いて、私の部屋に誰が入ってくる。
(私…?そんな、馬鹿なことが…)
これは夢なのか。
身動きできないでいる私の目の前に、"私"が現れたのだ。
"私"は学生カバンを机の上に置いた後にこちらをちらり、と見て笑う。
そして制服を脱ぎ、そしてとうとう下着を脱いで裸になる。
「なぜ、私がそこにいるの?って思っているかしら」
一糸まとわぬ姿になった私から、私そっくりな声が発せられる。
顔や髪型に声…そして体型までもが。
すべてが私そっくり…いや私そのものだった。
「うふ…実はね」
そういうと私の眼が急にうつろになる。
がくん、とうなだれるように身体が前のめりになる。
手が、ブラジャーを外すときみたいに背中に回り、背骨をこじ開けるような動作をする。
ペリペリ…
何かが剥がれるような音がしたかと思うと、背中がパックリと割れそこから信じられない人物が飛び出した。
(い、糸田さん…?)
私から糸田さんが出てきたのだ。
どんな魔法を使っているのか。私の身体(自慢ではないが人並み以上のよい体型をしている)から這い出てきた糸田さん。
糸田さんが露出した部分は肉にまみれている。
あっという間に裸の糸田さんが現れ、"私"だった物はパサリ、と衣服のように床に落とされた。
「ハロー。涼子さん」
声も糸田さんの声だ。
一体何が起きているのか。
なぜ糸田さんが私の部屋に、私の姿で…?
そして私はなぜ動けないのか。
「これはね、あなたから作った皮よ」
糸田さんが説明する。
私を昏倒させた後に特殊な薬剤で脱皮させたのだという。
その皮を着ると元の体型、性別に関わらずその皮の持ち主とそっくりになることができるのだという…。
「で、さっき帰ってきてあなたのお母さんのご飯を食べてきた所」
(…私になりすましたってこと…?)
私の声はさっきから出ていない。
口も全く動かないのだ。
心の中で糸田さんに罵倒を続けるが、糸田さんには何も通じていない。
「あなたの体型、すばらしいからしばらく借りようかなと思って」
裸の糸田さんは床に転がっていた私の皮を拾い上げると、背中を開き足を突っ込んでいく。
糸田さんの太い脚が私の皮を押し広げるが、足先まで入った瞬間にぐぐ、と波打ったかと思うと圧縮されるかのように縮んでいき、私の見慣れた脚が現れた。
手、胴体…そして頭。
すべてが皮の中に入り、背中の割れ目を閉じるとそこには先程と同じ"私"が立っていた。
「お母さんも気が付かなかったわよ。今日はよく食べるのねーなんて。あはは」
(こんなこと、許されるわけない…。もとに戻して…!)
「あなたが何を言っているか、全然わからないけど多分、返して、とかそんなところかしら」
おそらく、私にはまだ昏倒させた時の薬が残っているのだろう。
そのせいで私は動けないのだ。
だが、その予想は違った。
「あなたにはこの皮を着せてあげたのよ」
片手で首根っこを捕まれ、ぐっと持ち上げられる。
いくらなんでも片手で私を持ち上げるなんて、よほどの怪力じゃないとできない。
驚いていると私を姿見の前へ連れて行く糸田さん。
「ほら」
姿見の前には人間は"私"しか映っていなかった。
"私"の右手に掴まれている小さな物体。
全身に茶色の毛が生えていて、マズルが少し伸びていて…。
(く、クマ?)
ヌイグルミ。
糸田さんが手に持っていたのはクマのヌイグルミだった。
「皮ならなんでも作れちゃうのよ。まあ、人形の皮なんかに入ったら動けないんだけどね」
私がどれだけ力を入れようと、もがこうとしても鏡の中のヌイグルミは微動だにせず、音も発しない。
「学校で皮を作った後に、あなたにこのヌイグルミの皮を着せて持ち帰ったのよ。おかげで軽かったわ」
トン、と床に降ろされる。
鏡に自身の…ヌイグルミの姿が映るようにして。
「飽きるまであなたの姿を貸してもらおうかなって思うの。その間あなたにはそのヌイグルミの姿を上げるわ。"私"が2人いたらみんな混乱しちゃうでしょう?」
どんだけ彼女を罵倒しようとしても1ミリも動かない身体。
「ああ、皮を脱ぐには背中に手を回して裂目を探せばいいのよ。元に戻りたかったらどうぞ。できたらだけどね(笑)」
ヌイグルミに筋肉や骨格などないのだ。
中には綿が詰まっているだけ。
手はピクリとも動かない。
私は絶望に打ちひしがれた。
それから毎日、私は自分の姿を見続ける日が続いた。
朝、"私"がベッドから起きて制服に着替えて出ていく。
部屋の中が夕日で赤くなる頃に"私"が帰ってくる。
独り言のように今日起きた出来事を報告してくる。
友達とカラオケにいった、だのこんな面白いことがあった、だの。
おそらくワザとだろう。私に聞こえるように喋っているのだから。
たまにお母さんが部屋に掃除に入るのだが、私には目もくれない。娘がここにいるの、と叫んでも叫んでもその声がお母さんには絶対届かない。
お母さんもまさか一緒に過ごしている娘が赤の他人で、実の娘がこんな小さな物体に閉じ込められているだなんて思わないだろう。
1日がどんどん希薄になっていく。
鏡を見ていると自分が元からヌイグルミだったのでは、という気すら起きていた。
人間の女の子になる夢を見ていた、ただのクマのヌイグルミなのではと。
「…………」
あれからどれだけの月日が立っていたのかわからない。
(…あれ)
動く。
身体が、動く。
身体の動かし方がどうだったか、忘れてしまうくらい長い間閉じ込められていた。
半年?いや1年?
気が狂いそうになってもなにも行動が取れない私は心を閉ざす以外に方法はなかった。
だが。
手が動く。
(なにが起きた・・・の)
ゆっくり、身体を動かす。
身体が重い。久しぶりに動かすからだろうか。
リハビリのように忘れかけていた筋肉の感覚を思い出してく。
(私の部屋…じゃない?あれ、私の部屋?)
いや、間取りは私の部屋だ。
内装が微妙に変わっている。
一体どれだけの時間が過ぎたのか。
部屋の隅に置かれている鏡を見つけ、私はノソノソと立ち上がり近寄る。
鏡に写ったのは…私ではなかった。
(糸田…さん?)
ぶくぶくと太って積み重なった脂肪の塊がお腹に乗っている。
手足はハムのように膨れている。
顔も全体的にたるんでいて、薄っすらと汗をかいているのがわかる。
「お久しぶり」
声をしたほうを振り返る。
そこには…"私"がいた。
化粧をして大人びて見えるものの、身長や髪の毛はそのままだ。
徐々に薄れていた記憶が蘇ってくる。
「どういうつもり……?」
「そろそろ戻してあげようかなって思ってたんだけど、あなたの生活が楽しすぎてね。でもあなたもずっとそのままじゃ可愛そうだからその身体、あげようと思って」
「…冗談じゃないわ、こんな」
眼の前にはスラリとした"私"がいる。
本当にあの当時のまま、"何も変わらない私"が。
「皮は成長しないのが難点だけど、それが利点でもあるわよね。太らさないし老いることもない。大学生になってもこの中学生の姿っていうのはよく馬鹿にされちゃうけど、あと数年もしてたらその評価は変わるわ」
大学生。
あれから3年以上立っているというのか。
」
「…いやよ。こんな皮脱ぐに決まっているでしょ」
「…」
"私"は笑みを崩さない。
「皮を脱ぐには背中に手を回して裂目を探せばいい…。そういったのはあなたよ、忘れたの?」
「あ、教えてあげるけど、太ってて手が後ろ回らないから、私の皮は前に裂目があるわ。ちゃんと探してね」
そういうと"私"は部屋から出ていった。
私はすかさず両手をお腹に回す。
でっぷりと突き出たお腹を手で触り、裂目を探す。
彼女の余裕から裂目がなにかで潰されているのでは、と一瞬不安がよぎったがそれは杞憂だった。
(あった)
重なった肉と肉の間、よく触らないとわからない重なりを見つけ、指の先を突っ込む。
ペリペリ…と裂目を開いていく。
お腹の皮が開ききったが…。
糸田さんの皮から出ようとするが、中の身体が動かない。
私はお腹をパックリと開けた状態で考える。
とにかく皮を脱がないことには先に進まない。
私は糸田さんの身体を揺する。
ずるずる、と中の身体が少しずつ這い出てくる。
お腹の肉に邪魔されて見えないが徐々に吐き出されていっているのがわかる。
「もう…すこし!」
えい、と身体をジャンプして揺らした瞬間、お腹の間からずるり、と生まれるように身体が落ちていく。意識もその身体についていくように、糸田さんの感覚が失われる。
(やった!)
脱げた。
慣れ親しんだような感覚が戻ってくる。
が、それは間違いだった。
(え、う…動けない?)
そう、身体はピクリとも動かなかった。
先ほどみたいに動かし方を忘れている、というわけでもない。
動かす機構がついていない、そんな感じ。
両手両足を前に突き出し…視界の端映る身体は茶色い人工的な毛で覆われている。
「あら、やっぱりその身体がいいのかしら」
いつのまにか部屋に戻ってきていた"私"の笑いをこらえきれない声。
やられた。
どうやらヌイグルミの皮の上からさらに皮を被せられていたのだ。
脱いだ瞬間、私はヌイグルミに戻ってしまったのだ。
「退屈だったから遊んであげたけど、やっぱり面白かったわ。じゃあ、また私の部屋に置いておいてあげるわ。もうじき大学も卒業で、一人暮らしが始まるけど、そのとき持っていくか、置いていくか…はたまた捨てるか。考えておくわね」
素晴らしいです
返信削除この続き読んでみたいですね
皮さえ脱げれば戻れるのに手も足も出ない“本物ぬいぐるみ”のもどかしさ…自分の部屋にいながら高校時代を奪われた絶望感が良かったです。
返信削除皮の中の本物の身体は変化してるのか気になります。