2018/09/09

取扱変更届(3)

思っていた以上にこの幼児になった身体には負担だったのだろうか。
気がつけば窓から朝日が差し込み始めていた。

夕飯を食べたかどうかの記憶さえおぼろげだ。
身体がキレイになっているのを見るとどうやらお風呂は済んでいる。
…恐る恐るパジャマをめくるが、オムツは濡れていなかった。

(ほっ…)

どうやらお漏らしはせずに済んだようだ。
もしかしたら少しは成長しているのかもしれない。
そうだ、身体は2歳だが、中身は大人なのだ。
ちゃんと律すればおもらしなんてすぐに克服できるということなのだ。
こうなれば高校生活への復帰もすぐのはずだ。

フン、と自信をもった私は直に引かれた布団から立ち上がる。
寝ているときに落ちると危ない、という理由から今まで使っていたベッドは禁止された。

(まあ自分でベッドに昇ることも出来ないけど)

自分の胸ほどの高さのあるベッドを悲しい目で見る。
当初はこの身体の本来の持ち主である悠が使っていたベビーベッドで寝たらどうか、という案が家族から出たのだが、私は全力で拒否をした。

結局ベビーベッドのサイズが若干大きかったことと、"私"の身体に入った悠が勝手な行動をしないように、ベビーベッドは悠が使うことになった。
いくら"私"身長が平均より低いとはいえ幼児サイズのベッドだ。
キツそうに身体を丸めて"私"を見ると情けなく思えてくる。

(さて…そろそろご飯かな…)

お腹が空いているのがわかる。
この身体になってから、食事も大きく制限を受けることになった。
さすがに離乳食ではないものの、いわゆる幼児食、柔らかいものが多く味付けも薄めで、もちろん刺激がある辛いものなどは食べられなくなった。
小腹が空いたときに出されるおやつも塩分や糖分が高すぎる、ということでお子様向けのかわいいパッケージに包まれた物ばかりとなった。

「あっ…」

思わず幼い声がでる。
忘れていた。
今の身長だと自室のドアを開けるのが難しいことを。

背伸びをすればなんとかドアレバーに手がかかるのだがその状態で押し下げることができない。
よしんばできたとしてそこから押したり引いたりすれば身体のバランスが取れずに転倒する可能性が高い。
というか先日そうなったばかりだ。

…だけど。
家族の手助けがなければ移動もままならないなんて、という状況を私は許せなかった。

「うん…しょっ」

つま先立ちをしてなんとかレバーに手をかける。
指の先がレバーにかかり、そこから体重をかけレバーを下げる。

(よし、あとは引けば…)

だが、引こうとした瞬間に手がレバーから滑るように離れる。
そのまま支えをなくした身体は姿勢を維持できず、尻もちをドスン、とついてしまう。
小さな身体だが勢いがついていたせいでフローリングの床に大きな振動と音が発生する。

「ふぇ…」

身体がお尻に走る衝撃にびっくりしたのか涙が出てくる。
ドタドタと急いで階段を昇る音が聞こえ、その後ゆっくりドアが開く。

「…お姉ちゃん?!今の音、大丈夫?」」

物凄い心配そうな顔をした妹の久遠が部屋を覗き込む。
ドアの前で尻餅をついて涙目で座っている私を見て妹が状況を把握する。

「はぁ…お姉ちゃん、ドア開けようとしたらダメって言ったじゃない!」
「ご、ごめん…」
「もう…」

久遠はそういうと私を軽々と持ち上げ、抱いてくれる。
お尻の痛みを取り除こうとするように優しくお尻をなでた。

「お姉ちゃん、今のお姉ちゃんは階段降りれないんだよ…?」
「あ…うん」

十数段ある階段は私にとっては富士山より厳しい山だ。
落ちてしまえば大怪我は免れない。

「聞き分けがないと…お母さんにも相談しちゃうよ」
「…ごめん、今度からはもうしないから」
「約束だよ?」

母に告口されたら、ドアに背の低い柵を設置されたり…せっかく拒否できたベビーベッドに移動させられてしまうかもしれない。
極力子供扱いはせず、"私"という存在を尊重してもらう事を交換条件に危険なことに自分から近づかないということを約束させられたのだ。
大人だから危険判断はできるだろう、というある意味これも信用・信頼なのだ。

「約束、自分から破っちゃうと私も擁護できないよ?」
「うん、ごめん」

妹の顔を真正面から見ることが出来ず、妹の胸に顔を埋める。
…色々成長したなあ久遠。

「じゃ、ご飯食べよ?」
「うん、本当にごめん」
「もういいよ、内緒にしといてあげるから」
「あ、でもそうだ!」
「ん?」

私は今朝の嬉しい出来事を報告する。

「今日はおねしょしなかったの。これも成長かな?」
「あー、あー、うんそうだね」

久遠がちょっと困ったような顔をする。
あれ、どうしたのだろう。なにか言おうか言うまいか迷っている顔だ。

「…久遠、もしかして」
「あー。うん。覚えないてない…のかな?」
「…?」
「隠し事はしないほうがいいよね…」

久遠が言いづらそうに夜、起こったことを話してくれた。
夜中、2時か3時頃に隣の部屋(久遠の部屋はわたしの隣だ)から大きな泣き声がしたのだという。
両親と久遠が慌ててわたしの部屋にきてみれば、わたしが大泣きしていたのだという。

どれだけ語りかけても意思の疎通ができない。
まるで悠が元に戻ったようだったという。
両親が"私"の様子を見に行ったがそちらは変わらず悠のままだったという。
結局、オムツが濡れておりそれが原因だろうということで久遠が取替たところ、またスヤスヤと寝てしまったのだという。

「…うそ」

今朝はおねしょをしなかったのではなかった、というショックな事実以上に、夜泣きし、久遠にあやされ、オムツを取り替えられていたときの記憶がなかったことに不安を覚える。

「覚えてな…い」
「うん、不安だよね。でも入れ替わりの現象としてはありうるってお医者さんから説明を受けてるの」
「ありえる…?」

久遠は続ける。
世間に知られている入れ替わりは、しばらくすると入れ替わる前の癖が入れ替わった後も発現するのだという。
髪をかきあげるときの仕草、返事をするときの声色、歩き方、微笑み。
まるで本人が戻ってきたかのような独特の動作がにじみ出てくるというのだ。
それは肉体や脳みそに刻み込まれた物が精神に影響を及ぼす現象と言われていると、それは時間が立てば立つほど色濃く出てくるということ。

「悠の身体と脳みそを使っている以上、それに引かれてしまうのは避けられないって」
「…そんな」
「ごめんね、言っておけばよかったね…でもお姉ちゃんの場合例外…年齢差が大きすぎるから大丈夫かもって思ってたんだけど」

突きつけられた現実に私は混乱してしまう。
寝ている間の出来事とはいえ、2歳と変わらぬ所作をしていたことに。

「そんなんじゃ…そんなんじゃ高校生活なんて無理じゃない…」
「お姉ちゃん」

もしかしたら起きているときにふとした瞬間にそうなってしまうかもしれない。
理性を失い、本能のままに泣き喚いてしまうかもしれない。
そんな状況で元の生活に戻ることなど、無理ではないか。

「お姉ちゃん?」
「ごめん、ちょっと考えさせて…」

ショックで心が押しつぶされそうだ。
久遠は壁の時計を見上げる。
今日の悠の通っていた幼稚園へ行く日だ。
状況を説明はしているので少し遅れても大丈夫、と久遠。

だが結局、その日は外で出かけることはなかった。

次のお話

3 件のコメント:

  1. 夜泣きという発想はなかった…
    良い…

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    1. 夜泣きは無意識で幼児化が進んでいることだから素晴らしいですよね♪

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  2. お姉ちゃんが夜泣きで大泣きしているのに興奮しました♪
    妹にオムツ交換されているのも最高ですね(笑)
    どんどん幼児に染まってほしいです(^-^)/

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