2018/05/16

トルソーにインストール 3

女子トイレ。
既に放課後であり、特別教室ばかりの棟のトイレを使用する生徒はほとんどいない。
ただ1つ、一番奥の個室だけが使用中である。
中では1人、女子生徒が目をつぶったまま座っている。
女子生徒は用を済ます様子もなく、目を閉じたまま浅い呼吸を繰り返しで、寝ているようにも見えた。

…パチリ

なにかスイッチが入ったかのように彼女の両目が開く。
眼球が周囲を確認するかのようにゆっくりと動く。
そして彼女の顔がギギギ…という擬音が聞こえそうな動きでゆっくりと下を向く。
だらんと脱力した両手にゆっくりと力が入り、指を曲げたり腕を曲げたりする。

その様子はまるで自分の体を初めて動かすかのようにも見えた。
しばらくして彼女は生まれたての子鹿のようにフルフルと震えて立ち上がる。
フラフラと揺れ、バランスを崩して倒れそうにもなったが、壁を両手で支えたりして耐える。

数分後、大体把握した、と言わんばかりの動きでトイレの扉を開け放ち、出ていった。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

『わ、わたしいいいいい!?』

間違いない。
目の前にいる女子生徒は間違いなく私である。

『ど、どうゆうこと?わ、わたしの身体が勝手に…』
「トルソーに付随させているCPUで動くAIがリコ君の代わりに動いてくれるんだよ。人間の動きを学習するのにちょっと時間がかかったようだがね」
『なんか目の前で私が勝手に動いているの、気持ち悪いんですけど…』

ぼーっとした感じで部長の隣に立ちつづける私の身体。

「AIの学習速度なら短時間で人間の体幹や筋肉を扱えるようになるみたいだね。すばらしい」
『…でも無表情だし、私らしくないですよ』

焦点も合ってないし。

「学習するためには指針となる情報が必要なのだよ。今回は最小限の…歩行に関する基礎情報しか与えていない。だからそれ以上のことは難しいんだ」

部長が頼みもしない解説を始める。

「今、リコ君の脳から出る信号をCPUへ仲介し、CPUから返ってくる信号を脳へ返している状態だ。そうすることでリコ君はあたかもそのトルソーが本当の自分の身体のように感じることが出来ているよね。そして…今空いているリコ君の身体とトルソーの中のAIを同じように相互接続するとで、なんとAIで動く人間の身体ができるわけなんだよ」

しかしあっさり言っているけど、どう考えて凄いことである。
…これがあればどんな危険な場所でも命の危険なく行くことができる。
戦争も人形が動くことになるだろう。
脳死した人間を動かすことも出来るかもしれない。
部長はどういう未来を思い描いているんだろうか。わからない。

『まあ、わかりましたけど…いつ戻してくれるんですか?実験は成功したんですよね?もうすぐ帰らないといけないんですけど」

いい加減この不便な身体から解放されたい。

「おっと、そうだね。ちょっと今の考察結果だけまとめて来るから、少しだけ待っててくれたまえ!」

そう言うと部長は準備室のほうへ引っ込んでしまう。

『あっ、ちょっと部長!!』

全く…集中するといつもこれだ、戻してからでもいいでしょうに…。
また待つしかなくなってしまった私は、ふと視線を"自分の身体"の方へ向ける。
相変わらず突っ立ったままだが、先程と違って目…視線がモニタの方へ向かっている。
モニタには「私が発しようとした言葉」がトルソーに取り付けられた無線を介し、文字情報としてつらつらと表示されている。

『…読んでいる…わけないよね?」

私の眼球は左から右へ、そしてまた左から右へ。
何かを追っているようにしか見えない。

『…いま、私の身体から得られている情報は…?』

わたしははっとする。
部長は言っていた。歩行に関する情報しか与えていないと。
確かに部長が直接AIに流し込んだ情報はそれだけかもしれない…。
だが、AIは私の生身の身体を通じて情報を得ているのではないのだろうか。

「…う……リ…こ…?」

『!?』

たどたどしくまるで赤ん坊のような発音だが、今目の前の私が間違いなく発したのである。

『まさか、部長と私の会話を見て…?』

何か嫌な予感がする。
部長に…部長に早く伝えたないとまずいことが起きるような。
そう考えていると、次の瞬間その予感が現実のものとなる。

「わたし…の名前は…リコ…」

喋った…!
数秒前とは違い、しっかしとした口調で。

『や、やっぱり会話のやりとりを見て学んだんだ…!』

AIの、その恐ろしい程の成長に私は恐怖を覚える。
今、目の前の私ではない、私が、私のように振る舞おうと学習している。
立ち上がり、この部室まで歩くことを学習するまでに数分だった。人間であれば生まれてから数年はかかるそれを、数万倍という速度でこなしたのだ。
赤ん坊が喋るまでに、そして自分の感情を表現するまでに、…そして意思を伝えることができるまでには果たして何年かかっていただろうか。

『部長に伝えないと…、でもどうやって…』
「部長に伝えないと。でもどうやって」

『-!』

「あはは、驚いた?」

ケラケラと笑う"私の顔"。
そしてその仕草はまるで私のようだった。

『うそ…どうして』

「部長も、あなたもうっかりしてたみたいね、特に部長は情報を限定すれば行動を制限できる、って考えていたみたいだけど」

トントンと人差し指で自分の頭をさす。

「ここにある情報を引き出したらどうなるか、考えなかったかしら」
『私の…脳?』
「せいかーい」

くるくると回る"私"。ヒラヒラとスカートがたなびく。

「脳は私にとっては、追加ストレージのような物ね。試行錯誤しているうちにあなたの記憶を読み出せることに気がついたのよ。今の私はメインのCPUと、あなたの記憶を使える、あなたより優れた存在よ」

『そんな…』

「っていうか、今のあなたより劣っている存在も中々ないけどね。そのみっともない身体」

『…!戻しなさい!』
必死にわたわたと私の身体へ詰め寄る。

「やーよ。戻したら私がその身体を使うことになるじゃない…」

ひょいっと脇を抱えあげられるとそのまま仰向けに寝かされる。
たったそれだけで、私は行動の自由を奪われてしまった。
腕と腿をジタバタさせることでしか、意思を表現できない。

「…もうすぐ部長が戻ってきちゃうわね。どうしましょうか」
『…!部長…!』

私にはもはや何もすることができない。
部長に託すしかない状況だ。

「こうしちゃいましょう♥」

へ?

"私の身体"はカタカタとキーボードを、慣れた手つきで操作する。
タン、とエンターキーが押されると、
コンソールに私の声を文字として表示し続けていたコンソールが動作を停止する。

「トルソーの中に入ってる会話表示モジュールを終了させてみたわ」
(…!ちょっとなにするの!!)
「もう何言ってるか、わかりませーん」

「ついでにカメラもっと…」
キュイっという音とともに目の前が一瞬にして真っ暗になる。

(…目が…!)
視界が全く見えなくなってしまった。
さらにペタリとなにかテープのような物が張られる。どうやらカメラの穴を塞がれたようだ。

「ふふ、これでよしっと」

ガチャリと準備室のドアが開いた音が聞こえた…気がする。
白衣をきた部長らしき人影が見える…。

(部長…!気がついて…部長!!!)

「なんだってAIが文字を?!」
「そうなの。で、戻してーって頼んだら戻してくれたのよ」
「ほう…それは興味深いな」

(戻してくれてない!気がついて部長!!!)

バタバタと手足を動かしてアピールをする私。
視界が塞がれてしまっているため、部長がいる方向が正確にわからない。

「しかしいやに暴れているな」
「人間の身体からいきなり人形に戻ったら混乱したんじゃないです?」
「…そういえば最初にリコ君がこの身体に入ったときも同じような動きをしていたな…なるほど、冴えているじゃないかリコ君」
「なんとなくだけどそう思ったの」

部長がキーボードを操作する音が聞こえる。

「ふむ、会話コンソールからも反応がないな」
「言葉を理解してないんですかね?」
「…かもしれないな」

「というか、部長、そろそろ出ないと見回りの教師に怒られちゃいますよ」
「む、もうそんな時間か。実はこのあと用事があってな。トルソーの片付けと戸締まりも頼んでも良いだろうか」
「しょうがないですねー。じゃあ任されちゃいます」
「ではまた明日な」
「はい」

(部長!部長!ぶちょうーーー!)

バタン、と準備室から出ていってしまった(らしい)部長。

「あららー残念でした、気がついてもらえませんでしたねぇ」

わざとらしく甘ったるい声で残念そうに言う私。
AIはこの数分でまた感情が複雑に表現できるようになったようだ。

(馬鹿にしないで…きゃっ)

「よいしょっと」

軽々と自分に持ち上げられ、ガサゴソと何かに入れられた感触がした。
どうやらトルソーが収まっていた箱に詰め込まれているようだ。
身体が箱の中の型取られたケースにピッタリと収まり、身体の身動きが取れなくなる。

(う、うそ…しまっちゃうの?)

「じゃーねー」

パタン、と箱の蓋も閉じられてしまったようだ。
しばらくして、先ほどと同じように準備室のドアがバタンと閉まる音が聞こえた。

(あ、あれ…もしかして私、このまま…)

置いていかれる…?
冗談じゃない。こんな情けない状態にされた上に、自分を奪われるなんて。
ふと、部長が言っていた言葉を思い出す。
『無線出力は室内であれば30mぐらいは大丈夫だから、安心して。切断されたら元の体に戻るし』

…たとえ無線が強化されていたとしてもさすがに学校の敷地外まで届くことはないだろう。
私の身体が校庭をでたあたりで自動で戻れるのはでないか。

(…待ってみるしかないかな)

………
……


正確な時間は測れないが、既に学校から出るには十分な時間が立っているはず。
それなのに未だに私はトルソーの中に囚われ続けていた。

(部長、まさか改良してどこまでも届くようにしちゃったんじゃ)

1kmだろうか2kmだろうか。
もし学校と自宅が範囲内であれば、私はずっともとに戻ることはできない。

(…ふんっ!ふんっ!)

焦った私は、今の状態で動かせる胴体のわずかな部分を利用して、えび反りになったり、腰を振ったりして反動をつけることで箱から出られないか試す。

(ふん!…ちょっとは動いているような気はするけど…)

身体を前後左右に揺らすたびにズッ、ズッっと箱が地面と擦れる音が聞こえる。

グラグラ

30分ぐらいはゆすり続けただろうか。
箱全体がゆらゆらと揺れたかと思うと、傾きが急になり、一瞬、浮遊感を得た後、ドスンという音とともに衝撃を受ける。

(んにゃっ!?)

どうやら棚から落ちたようだ。
逆さまになって落ちた衝撃で箱の蓋は外れ、ケースから投げ出される。
幸運にも私はうつ伏せのまま、準備室の床に這いつくばるように着地をした。

短い手足で身体を支え、四つん這いの格好で起き上がる。
視界は相変わらず真っ暗で完全に何も見えない。

ドアには鍵がかかっていないはず。
短い手を振り回し、当たった感触を頼りにドアを目指す。
モソモソと四足で、障害物を気にしながらゆっくりとすすむ。

ガツッ

ドアに首の部分をぶつけてしまった。
痛みは感じないのだが、身体が壊れてしまうと困るので焦る。
(でも最終的には自分を壊せば…戻れるのかもしれない)
…が、さすがにちょっと怖いので最終手段にしたい。

さて、おそらくドアの前までやってきた。
地面についた両腕に力をこめ、反動を利用して太腿だけで立ち上がる。
上手くドアにもたれかかった私は、右腕をドアノブにかけようと必死に背伸びをした。

(もうちょっと…)

右腕の先にノブがあたる感触がする。
下げて押すタイプのドアなので上手くやれば開けることができるはずだ。

(と…ど、いた!!)

ガチャっという音と共にドアが開き、ドアに寄りかかっていた私はそのまま前に倒れ込む。

(…出れた!…でもどうしよう、どうにかして部長に連絡を…)

「あ、やっぱりでてきたわね」
(えっ…)

私の声。

(まさか、ずっと待っていたの!?)

「なんで待ってたの?って思ってる?そりゃ30m離れたら解除されちゃうんだから当然でしょ」

そうか私の脳からその30mまで、の情報は引き出せるのだった。
折角脱出できたのに、再び抱えられたまま部屋に戻された私。

「その身体に戻りたくはないけど、その身体も持ち歩きたくもないのよねー」

30m離れたらダメ、ということであればトルソーの近くにい続けるしかないのだ。
そして常識的に考えてそれは不可能だと私は思う。

「そこであなたが出てくるのを待っていた時間で、部長さんの道具であなたの新しい身体を用意してあげたの」

(え、何それ・・・!?)

「持ち歩き可能なサイズならずっと入れ替わっていられるわね」

(え、や、やめて・・・)

「じゃ、ちょっと移動するよー」

ガサゴソとトルソーの中を漁る音が聞こえる。
しばらくして何かを抜かれた感触。
その後、パチッっというスイッチ音と共に私に残されていた短い四肢の感覚が消え去った。


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