文化祭が終わってから、私はどうにも実験部の部室に寄ることが出来ていない。
我らが実験部のお化け屋敷は大成功をおさめた。
化学を利用した恐怖体験は生徒はもとより、教師にも好評だったのだ。
(結局私が一番反響があったけど)
トルソー。
見た目は四肢のないマネキン。感触は人間そのもの。
中身は…私。
人形を遠隔操作する…というとリモコンかな、と思うかもしれない。
実態は五感そのものが入れ替わり、まるで自分の身体がトルソーそのものになってしまったかのように感じる、脳波コントロールであったが。
ともかく、四肢のない身体にインストールされた私は、文化祭の間中、お化け屋敷にお化けとして配置されていたのだ。
さすがに裸のまま、というのは人形とはいえ問題があるらしく、ボロボロになった白装束や包帯を巻きつけられてはいたが。
部室へ行かないのは、そういう扱いを受けたことを怒っているのではない。
まあ…少しは尊敬している部長の頼みでもあったし、文化祭というお祭りの熱もあり、自分でも最中は楽しんでいたということもある。
問題は、後夜祭が終わるまで私をもとに戻してくれなかったことだった。
私は夜のお化け屋敷に改装された教室の中で、満足に動けないまま放置されていたのだった。
キャンプファイアーが終わり部員たちが片付けに戻ってきた後、「あっ」と小さく声を出した部長。
片付けの隙を見つけて戻してくれたけど、みんなの視線が途切れなくて…とは言っていたが、あれは絶対忘れていたやつだ。
でも…私もそこまで怒っているわけでもないのだ。
ただ学年が違うので自然に仲直りするきっかけが現れるわけがなく、あの日から少し部活に立ち寄るのが気まずいだけ。
(…まあ、寄らなくていっか)
今日も実験部の部室(といっても化学室と準備室を間借りしているだけだが)の近くまで来たが、私は躊躇した。
…そのうち時間が立てばひょっこり廊下で会うこともあるだろう。
そのときに謝って、軽く冗談でも交わせばいい。
そう考え、私は踵を返そうとする。
っとその前に…。
帰るまで我慢できないかな、と思ったのでトイレへ。
一番奥の個室へ入り、腰掛ける。
(よっと……)
脱力して、出すものを出そうとした瞬間、ブツッと脳に何か、電気が走ったような気がした。
(…あれ?)
目の前の視界が、トイレからどこかの部屋へと切り替わる。
「リコくん、ごめんっ!!!」
大きな声が聞こえた。
視界を横へ向けると部長がこちらへ頭を下げているのが目に入る。
何が起きたのか理解できなかったが、慌てて手足を動かそうとして上手く動かせないことに気がつく。
この感触は覚えている…これは…。
「その、忘れていたのは、謝る。悪かった。でも…来なくなるのは…その」
いま、そんなことはもうどうでもいい。
『部長!!!なんてことするんですか!!!』
部長の背後にあるモニターに私の心の声が表示される。
怒りの量を判別してくれているのかご丁寧に特大フォントで赤文字だ。
そう、私は再びトルソー体へインストールされているのだ。
手足の短い、首のない身体でなんとかモニタを見るように指し示すが、伝わらない。
こちらへ頭を下げ続ける部長は気が付かない。ひたすらに誤り続けている。
『…モニターを…!見ろ!!!』
私の短くなった腕が部長の頬になんとかHITした。
「本当に…ごめん」
やっとモニターを見てくれた部長。
どうしても謝りたかったが、あれから部室に来ないのでずっと悩み続けていたらしい。
だからといって強引に呼び寄せるなんて…と心の中でため息をつく。
『わかりましたから。私もちょっと怒りすぎました』
「リコ君…良かった…」
『わかったから、私の身体に戻してください、部室来ますんで。なんせ私…』
と言いかけてハッとする。
『あああっ!部長、早く戻して!お願いだから!!!』
思い出した、私、トイレ寸前で…。
「ああ、そうなのかい?」
ぎゃあああ…この声もモニターに表示されちゃってる。
恥ずかしさで顔を隠そうとするがもちろんこの身体ではそんなことはできない。十数cmしかない腕がすこし上向きになっただけだ。
「わかった、一回戻すよ…ただ試したいことがあるからそのままトイレで座ってて欲しい…数分後もう一回転送するけどいいかな?」
『…はぁ。部長はほんと変わらないですね…今回も本当は実験したくてしょうがないことがあったんじゃないですか?』
「そ、そんなことないさ…僕もリコ君と仲直りしたかったんだ、ほんとだよ」
『まったくもう…』
ブツッっという音と共に視界が先程のトイレへ戻る。
「…ああもう…」
顔を真っ赤にする私。
出す寸前で移動させられたのでもしや、と思っていたのだが、すでに尿意は消え失せていた。
気絶した時に失禁したらこんな気分なのだろうか。
数分後にまた呼び戻されるため水を流した後、私は急いで下着をあげ、衣服を整える。
いったん外に出て手を洗うと、再びトイレへ戻り鍵を閉める。
先ほどとは違い、トイレの蓋を閉めた上に改めて座り、浅く息を吐く。
(なんだかんだいって素直に部長の言うこと聞いちゃうの私って…)
これは部長への尊敬とか…そういうものなのだ。
決して自分があの待遇になることを期待しているわけではない…はずだ。
そんなことを考えていると再びブツっっという音が聞こえ、
私の意識は実験部まで飛ばされた。
「新しい機能を試してみようと思う」
ついてそうそう早速不穏な発言をする部長。
『…早速ですね。まあ嫌な予感がするんですけど』
「大丈夫だよ、すぐ設定できるし、リコくんには影響はないよ」
『そうなんですか?ならいいですけど』
「では、ポチッとな」
コマンドを打ち込みエンターキーをタン、と押す部長。
数秒の沈黙の後、モニターに数行、よくわからない文字列が表示され、最後にOK、と表示される。
『…?もう終わりなんですか?」
「うむ。あとは暫く待つだけだ」
『…よくわからないけど分かりました』
言われた通り待つ。
そもそも、このトルソー体では人間なら大したことのない高さでも、台の上に置かれると自力で降りることはできないし、テディベアのように座らされている状態なので自力で四つん這いになることもできず、待つしかない。
下手に動くと亀みたいにひっくり返るだけ、というのも私は文化祭で学んでいる。
そんなこんなで10分後。
なにも起きないのであくびが出そうだ。顔がないので出ないけど。
『部長。…まだ待たないと駄目ですか?失敗したんじゃないですか』
「…ちょっと学習に時間がかかってるようだったが…どうやら成功したようだ」
ガラガラガラ…
実験部の部室の扉が開く。
私は部員の誰かが入ってきたと思い、動きを止める。
『ちょっと、誰か来ちゃったじゃないですか』
「…やあ、やっぱり上手くいったようだね」
『へっ?』
コツコツとこちらへ向かってくる音がする。
その人影はすっと私の後ろを横切り、部長の隣へ。
『えっ…嘘でしょ』
若干ぼんやりした焦点の合わない目をしている女の子。
いつも朝、かならず見る顔。
というか見飽きた顔。
「文化祭の間、リコ君の身体を隠すのが大変だったなぁと思って、トルソーに入れる予定だった思考学習型AIを利用してみたんだ」
私の顔。
『わ、わたしいいいいい!?』
つづく
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