2018/04/13

私が本物

とある王国。
その王国は、王が国を治めるには充分な才能とカリスマ、そして厳しさも持っていたが、娘にはほとほと甘いことで有名であった。

ある日、王女アルカの十五歳の誕生日に、国中を上げての祝賀が催されることになった。

「我が娘を祝う品を献上せよ」

娘に甘いことを除けば、立派な国王。
それはそれは信頼も厚く,国中の職人は腕によりをかけて傑作を作るのであった。

しかし如何に信頼が厚いとはいえ、一枚岩ではない。
施行された法の中には割を食い、王を恨んでいるものも少なからずいた。
今思えば王はこの事を常に念頭に置かなければいけなかったのだ。
溺愛する娘アルカへの献上品に悪意が紛れ込む可能性があることも。

「国一番の絵師が王女を想い、描いたものでございます」
「王女の愛馬の鞍でございます」
「凄腕の菓子職人が作ったケーキでございます」

長い行列が謁見の間にどんどん吸い込まれていく。
次々に持ち込まれる最高級品の品に最初は目を輝かせていたアルカも、最後の方はだんだん疲れてきてしまった。

「次、最後の者」
兵が最後の献上者を謁見の間へ連れてくる。
「む...」
入ってきたものの姿を見て王は顔をしかめる。
薄汚い布で体を隠した老婆だったからだ。老婆は大きな大きな袋を抱えている。

王は一瞬迷ったものの、祝ってくれることには変わりがないと思い、気を取り直す。

「私が捧げたいものはこちらでございます」
老婆は大きな袋をばっと取り払う。

アルカは一瞬「えっ」と声を上げる。
アルカが驚くのも無理はない。王や同席していた王妃、大臣, そして兵までもが驚愕するほどだった。
それは王女にそっくり、瓜二つと言っていいほどに似た、等身大の人形だったのだ。
いまアルカと着ているドレスと全く同じものを着ている人形。
もちろん細部を見るとそれが本物でないことはわかる。袖から見える手は球体関節が見えているし、
目もガラス玉だとわかるような不自然な光沢をだしている。
髪の毛も髪型、色は一緒に見えるが、実際は絹糸でできているのがわかる。
ただし造形はぱっと見では本物と見間違えることもあるかもしれない、そんなレベルでの芸術品であった。

「た、たしかに凄いのだが…これは…」
王は戸惑う。
技術力は桁違いに高いことがわかる。だが…似すぎていて気持ちが悪い。

アルカも驚きのあとに沸いてきた気持ちは戸惑い、そして嫌悪であった。

「お気に召されませんかね…」
老婆は片目を大きく開きギョロッと王女を見つめる。

「え、ええ…その…素晴らしいものではあると思うのですが、その…」
老婆を傷つけないよう、アルカは言葉を選びつつ返答する。
「では持ち帰るとします…」

老婆は王女そっくりの人形を再び大きな袋に入れようとする。
「ま、またれよ」
王は老婆の動きを止める。
「その献上物はいただこう、礼を言う」
王は王女そっくりの人形を持ち帰らせるのを忌避した。
仮に市場に流れるようなことがあれば、どのようなことになるか、王は一瞬で判断したのだ。

老婆は開いた片目を閉じると
「さようですか、では置いて帰るとしましょう」
そういって老婆は去っていった。

受け取ったはいいものの、扱いに困った王は宝物庫へ保管するように命じる。
命じられた大臣も微妙な顔をしながら人形を運びこむのであった。

―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・

誕生を祝う晩餐会も終わり、アルカは自室へ戻るため廊下を進む。
最近は夜更かしもある程度出来るようになったとはいえ、流石に日が変わる前になると辛くなってくる。
疲れた足取りで、辿り着いた自室に入った瞬間、アルカの顔は恐怖で歪む。
そこには大臣が宝物庫へ運びこんだはずの、人形がいたのだ。

人形は何の支えもなしに直立不動で立っている。
生きているはずのないその人形は、アルカをじっと見つめているように見える。
アルカもなぜかその人形の目から視線を外せない。
まるで鏡合わせのように向かい合った1人と1つは、どれくらい見つめ合っていただろうか。

アルカがこの奇妙な現象について考えようとしたその一瞬、人形の右腕がアルカの方へ伸ばされたのだ。
淀みなく動いた人形にアルカは逃げようとして気がつく。
自分の身体が金縛りにあったように動かないことを。

(な、何が起きてるの?)
動かない自分に向かって、自分に瓜二つの顔がこちらへ歩み出す。
人形が動き出す、という驚きに加え、自身が動けないという恐怖にパニックになる。

人形はそんなアルカに触れることができる距離まで近づくと、右手でアルカの左肩をつかみ、そして引き寄せ、自身の固い唇を、アルカの柔らかい唇へと重ねあわせたのだった。

唇を重ねあわせてから数秒後、動くことができるようになったことに気がついたアルカは慌てて目の前の人形を両手で突き放す。
入り口の扉の方へ突き放された人形は2,3歩後ずさる。

アルカは突き放した相手をじっくりとみる。

(え、えええ?)

目の前にいる人形は、先程までとは違い、顔も、目も、そして髪の毛も、すべてがまるで本物のように…見える。
肌は瑞々としており、目も、髪も作り物には見えない。
「は…はは」
人形が喋り出す。

アルカはとうとう喋り出した人形に対して恐怖を覚える。
ただの恐怖ではない。なにか取り返しの付かないことが起きてしまった、という焦りも感じる。

人形はにやりと笑う。まるで人間のように。
「はじめまして、アルカ姫」
どこかで聞いたことがある、凛とした声を部屋に響かせる。

「まだ王女ご自身に何が起こったのか、気がついてないようで」
最初、アルカは自分が恐怖で声が出ないのだと思った。そして恐怖で上手く身体を動かせないのだと思っていた。
しかし違ったのだ。もっと早くに気がつくべきだった。
なぜ部屋に入ったばかりの私が、人形を"入り口の扉"の方へ突き飛ばせるのか。

人形はクルリと回る。ドレスのスカートがふわりと翻る。
アルカは恐る恐る自分の両手を目の前に持ってくる。
「私は人間になり、そしてあなたは人形になったのですよ
アルカの目の前には、人形の手が、視界に入ったのだった。


アルカは自分の手が作り物に変わってしまったことに言葉を失う。

自分の身体に目を落とすが、ドレスは先ほどまで来ていたものと同じで、
どうなったかを伺うことができない。
ただ、恐怖で震える身体の節々からギシギシという木や紐が軋む音が聞こえ、身体に響いてくる。
(い、いったいなにが・・・)
入れ替わった位置、作り物の手、目の前には人形ではなく「私」がいる。
「そう、入れ替わったのですよ、アルカ姫」
アルカの声で呟く。

「あなたが生まれた日のみ、使える魔術ですよ」
アルカには到底信じられない言葉が紡がれる。
「予め呪文を織り込んでおいた人形と、その日にキスをすることで入れ替わることが可能なのです。まあ、同じ姿の人形である必要はなかったのですが」
「アルカ」の顔は喜びで満ち溢れている。

アルカは段々落ち着きを取り戻し、その条件がまだ満たされていることを冷静に確認する。
(日が変わるまでまだ少し…)
身体もぎこちないながらも動かすことができることを確認する。
(歩ける…はず)

「アルカ」が自身の身体を撫で回し、確認している。
アルカに対して背を向けた時に一気に近づく。
再度くちづけをすれば…!

ガクン
(えっ?)
あと1歩で自分の身体に触れられる、というところで
足がまるで歩き疲れてしまったかのように力が抜けていく。
前に伸ばした腕も同じようにだらんと脱力する。
ガシャンという音が床に響く。

(え、転んだ…?)
「その身体は魔力で動いているんですよ。アルカ姫。その作り物の身体が蓄えられる魔力はわずか。宝物庫からここまで来るのに、ほとんど使ってしまいましたよ」
「アルカ」はそう言うと倒れこんだ私の両脇を持ち、抱え上げる。
アルカの頭、腕、足が、疲れきって身体の如く力が入らず、文字通り糸の切れた人形のようにだらんと垂れる。
力をいれようとするが、まるで空気が抜けていくかのように弛緩してしまう。

「しかしさすがはアルカ姫。まだ日が変わってませんし、再度キスされれば、私は人形に戻っていたことでしょう」
「アルカ」は人形を机の上に座らせる。両手でアルカの垂れた頭が持ち上げられ、目の前に自分の顔が迫る。

「ですが、残念でした」
城の塔からゴーンと、低い鐘の音が響く。日が変わってしまったのだ。
そしてそれを証明するかのように人形のアルカに口づけをする。

(そんな、戻らない…)
目の前には両手でアルカの顔を支えた「アルカ」が微笑んでいる。

「そう、もうもどれない。アルカ姫、君はもうただのお人形さんだよ」
頭を支えている両手をパッと離す。アルカの首はガクッと傾き、そのまま動かない。

「今日から私がアルカ姫。君はそこからずっと見ていなさい」


 「失礼いたします」

私、エリスは毎朝、仕える主の部屋へ入り、起こすことになっています。
いつもならば私が起こすまで…いえ起こしている最中も寝ていたのが、あの日を境に、私が入ってくる時間にはもう目覚めており、難しい本を読むようになられました。

「アルカ様、もうお目覚めですか」
アルカ様が十五歳になられてからもう1か月になります。
誕生日を境に何か思うところがあったのか、人が変わったかのように勉学に励まれるのを見て私は、主の成長にうれしく思いつつも、何か引っかかるところがあるのも確かでした。
少し前までは王、王妃ともどもに大変甘やかされていたせいか、人前ではさすがにしないものの、お付きの従者しかいないときは結構わがままなところもあったというのに。
「ええ、早く目覚めたから、今日は書庫へ行くつもりよ。もうすぐこの本も読み終わってしまいそうだから」
アルカ様はあの日以降本を読み漁るようになりました。
国の成り立ちから、戦争、そして現状。いままでは家庭教師の勉強すら嫌がっていたのに。
「私も、いずれは政の場に出たいのです」
…そして鋭くなったかもしれません。私の顔に出ていたのか、思っていることに対して先回りされ指摘されることも多くなりました。

そしてもう一つ変わったところ、それは…
「この…お人形はまだお片付けにならないのですか?」
それは、アルカ様に瓜二つな人形。
あの十五歳の誕生日に民から受け取った贈り物の1つです。瓜二つすぎて若干ひいていたアルカ様が、気が変わったのか、自室に置くようになったのです。
「ええ、気に入ってるの」
誕生日に来ていたドレスのまま、部屋の中央にあるテーブルの席に座らせています。
丁度、アルカ様がお茶をされるとき、向かい合うようになります。それはまるで鏡を置いているかのように。
「私はこれから成長していくけど、このお人形はそのまま。自分の成長を見せつけることができると思わない?」
妖艶…にはまだ幼いが、それでも十分魅惑的な笑みを私へ向けられる。
時折見せる年齢不相応な振る舞いも、あの日までは見ることがなかった光景です。
見せつける。誰に、でしょう。私にでしょうか。
アルカ様のご成長は私にとってもうれしいことではあるのですが。
「人形に埃とかかぶらないようにしてあげて頂戴。たまにはドレスを変えてあげてもいいわよ。そうね、私の着なくなったものとか」
「…わかりました、ではそのようにいたします」

アルカ様が書庫へ向かわれると、私は部屋に掃除道具を運び込み、掃除を始めることにした。
この瓜二つのお人形、質のいい素材を使っているのか、触った感触もまるで人間の皮膚のように感じます。精巧すぎて何かの拍子に動き出してしまいそうなくらい。
人形にかかっていた埃(毎日掃除しているのでそんなに積もっているわけでもないが)を払う。
ドレスの裾も若干整えてやる。
「ふう、こんなもんでしょう」
私は次にベッドメイキングをしようと、ベッドに向かうために、人形に背を向ける。

カタン

静かな部屋に何か、音がした。
私はビクッとして、人形のほうへ恐る恐る振り返る。
―動いていない。当たり前だが。

よく見ると、人形の右手が、載せてあった膝から滑り落ちてだらんと垂れている。

「もう、びっくりさせないでほしいですね…」
私は人形の右腕をつかむと膝にのせ、さらに上から抑えるように、左手を乗せる。
「これでよし…と、あら?」

テーブルに目をやると、アルカ様が勉強に使われているペンが倒れている。
「さっきの音はこれね。人形の衝撃で倒れたのかしら…?」
ペン立てに戻します。インクはどこにもたれてないようです。手間が省けました。

「もしかしたら人形さんがつかもうとしたのかも…なんちゃって」
人形の膝より高い位置にあるテーブルですし。そんなことはないでしょう。
さ、アルカ様が書庫から戻ってくるまでにある程度は片づけてしまいましょう。

早く終われば頼まれたお着替えもやっておこうかしら。

――――――――――――――――――――――

(しくじったわね…)

モノ言わぬ身体に閉じ込められてしまっている私は、心の中で愚痴ります。
偽物の私が部屋にいない、そしてエリスがいるタイミングをずっと待っていた。
机の上にあるペンを取り、そして助けを書きなぐるつもりだった。
結果は失敗。右腕がペンに触ろうとしたところで力尽きてしまった。
(もっと魔力を十分にためないと満足に動けないみたいね)

夜になり、月の光が部屋に入ってくると、凝り固まった身体に、染み渡るような何かを感じる。あれが魔力なのだろう。1カ月動かずに貯めた魔力をさっき、全力で動かしたのだが…。
ペンを持ち、字を書くためには…どれくらい貯めればいいのかわからない。

でもあまり猶予はない…とアルカは思う。
いつまでも机にペンを置きっぱなしにするかどうかもわからないし、そもそもあの偽物の気が変わって宝物庫に放り込まれてしまえば、月の光を浴びることすらできなくなってしまう。

そしておそらく、自分だけでは再度の入れ替わりを達成するのは無理だろう。
あの日の人形にはあの老婆が魔力を特別に込めていたはず。宝物庫から自力で部屋までたどりつける、あれだけ動く魔力を自然に貯めるには数年…いや数十年かかるかもしれない。
その間、動けぬ殻から変わらぬ景色を眺め続けるのは…想像するだけで恐ろしい。

せめて、エリスに気が付いてもらえれば…。
小さな頃から私を見ていたエリスであれば今の私になんらかの違和感を持っているはず。
そのために何を書くべきか、私は考えを重ねている。

そのエリスはいま私の…あいつが寝ていたベッドを整えている。
心の中では必死の呼びかけているのだが、エリスに通じる気配はない。

(だめね…、賭けるなら満月の夜…かしら)
この体にされた日以降、満月の機会は1度あったのだが、その日の空はどんよりとした雲がかかっており、夜になっても魔力が満ちる感覚はなかった。
アルカはあの日、偽物が言ったセリフから、作戦を思い描く。
来る日のために日々の魔力も無駄にできないのでこれからは不動を貫かねばならない。
アルカは元に戻れることを希望に耐えるしかない。


「さてと…」
エリスは掃除が終わったのか、再びこちらへ戻ってくる。
(え、ちょ、ちょっと・・・)
アルカが来ているドレスに手をかけると慣れた手つきでドレスを脱がしていく。
「どんなドレスがいいかしら…。そうだ、以前いただいたけど1度も来てないものがありましたね」
(ちょっとまって…!それは…)

昨年、ドレス商会から献上されたドレスを持ち出してくる。
それは、アルカの趣味には合わず、1度袖を通しただけでもう着ない、と決めていたものだ。
ピンク色の生地に、レースがふんだんに使われた、子供っぽいデザインのドレス。
そしておまけに大きな赤いリボンが腰につく。
十四歳にはさすがに幼すぎる装飾に、苦笑しながら受け取ったのを覚えている。

「着ないもの…っておっしゃってたし、ちょうどいいわね」
(や、やめて…!)
大声で叫び、抵抗しようとするがもちろん身体は微動だにしない。
「下着は…いらないわね」
あっという間に素っ裸にされ、そしてそのまま、恥ずかしいドレスを着させられてしまった。

(く…屈辱だわ)

次着替えさせてくれるのはいつなのかしら…とも思うアルカであった。




そもそもとしてなぜ、偽物は私を狙ったのだろうか。

あれから10日程立った日の午後。
目の前では私の姿をした偽物が、私のふりをして本を読んでいる。
私は視線を動かすことができないため、ずっと自身の身体が勝手に動いてるのを見続けることしかできない。

動かすことができないというのはやや語弊がある。
意識して、体内に溜まっているわずかな魔力を使えば動かすことができる、でもそれは作戦決行の日まで貯め続けていかなければいけない。
成功する可能性は低いかもしれないが、
満月の夜でもあっという間に魔力が尽きる様は入れ替わってしまったあの日に体験している。

とはいえやることもないので、目の前の偽物に対して考察を重ねることにする。
少しでももとに戻る可能性を高めるためにも、それは無駄なことではないはずだ。
(…やっぱり思い浮かぶのは…国家転覆)

敵国の魔術師が、王女と入れ替わることで、近い将来に王政を握る。
成人後、女王となるのか、はたまた敵国の王子を迎え入れてしまうのか。
どちらにせよ国家を裏から操られてしまう最悪の状態である。

(ただ、お父様やお母様を直接狙わなかった理由はわかりませんね…入れ替わるならそちらのほうが早いと思うのですが…。私のほうが警備も薄く狙いやすかったということでしょうか。)

(本当、厄介な状況)

最近の偽物は歴史本を一通り読み終えたのか、地政学の本を読むようになっている。
王国の書庫は一般に出回っている書籍より詳しく書かれているものも多く、国家機密までとは言わないまでも重要な情報が含まれている…はず。
敵国かもしれない輩に情報を取られているのに何もできない状況に私は悔しさを感じる。

「お人形さんの生活はどう?」
ふと、本を読み飽きたのか、私に話しかけてくる。もちろん私は返答することはできない。
前に話しかけてきたのはいつだろうか。

「私は君と入れ替わるためにあらかじめ人形に入っていたのだよ。半月ほどかな。ずっと地下室に置かれていてね」
君は明るいところに居られていいね、と微笑む。

「もしかしてもう、心が壊れちゃったかな?まあ、確かめる術はないんだけどね」
そういうと偽物は私のほうに手を伸ばし、額をトンッと押す。
うつむき加減だった私の顔は押された勢いをどうすることもできず、天井のほうをガクッと向く。

「さて、昼食の時間だし失礼するよ。エリスもそろそろ来るだろうしね」

偽物は本を机の上に置くと、すっと立ち上がる。
ふと、いたずらを思いついたような顔をすると、偽物は私の身体を両手で横から押した。

(え、ちょちょっと…!)
椅子にもたれるように座っていた私の身体はもちろん重力に身を任せるしかない。
身体はズズっと横に倒れていき、背もたれから外れ、そして
ドタン、という音とともに地面へ横倒しになった。
迫ってくる地面に対してとっさに手が動くわけもなく、無残にも地面に転がる。

「あはは…、ほんと君は無様になっちゃったね」
偽物は私を見下ろしながら微笑む。

「そうそう、そんな感じで放置されてたんだよ。君もしばらくそのままでいるといい」

足で頭をコツンと蹴られる。
反応がない私に飽きたのか、偽物は本を抱えて部屋から出て行った。
(こ、怖かったー。…痛みを感じない身体でよかった?のかな…)
しかし偽物の気まぐれのおかげでいくつか分かったこともある。

1つ、それは偽物はこちらの意思をくみ取る方法がなさそうだということ。
つまり私のたくらみが向こうに漏れることはないということだ。

もう1つは、偽物がこの身体にいたとき、その部屋では魔力が補充できなかったと思われる。
月の光を浴びることで魔力を貯まること、そして今、動こうと思えば動けるということに気が付いていない可能性がある。

私は思考をめぐらす。
元の身体に戻るためには、最短で10か月後の私の誕生日、偽物と再び口づけを交わす必要がある。ただ単純に10カ月待っていても自分に有利な展開はやってこないだろう。満足に動けるかどうか怪しいし、偽物が部屋にいてくれるとは限らない。
そのためには…

(やっぱり協力者が必要ね)

エリス。
どうにかしてエリスに今の状況を伝えなければいけない。
もうすぐエリスの誕生日がある。
この人形にかけられた魔術が私の身体以外にも効果を発揮すれば…。

エリスの誕生日の日、偽物がいないタイミングで、エリスに口づけをし、入れ替わり、エリスに状況を説明する。
そして再び口づけをし、元に戻る…。
(もし入れ替わった時間に余裕があれば書庫で魔術の本を探したいところ…だけども)
いや、いまはエリスとどうやって入れ替わるか。それに思考を費やしたほうがいいだろう。

ガチャン

部屋にエリスが入ってくる。
手には拭き道具。恐らく偽物が、倒れた私を元に戻すようにとか指示したに違いない。
(これは、チャンス…かも)
エリスは倒れている私を持ち上げようと、両脇に手を入れ持ち上げる。
丁度私の右手がエリスの左肘にあたるかあたらないかの位置になる。
(いま…!)

私は魔力を使い右手を動かすように意識する。
コンコン
右手を素早く2回、ノックするようにエリス肘を叩いたのだ。
「きゃっ」
エリスは驚いて私から手を放す。私の身体は再び床に転がってしまう。
「な、なにかしらいまの…」
(魔力は…いまのでもかなり使ってしまうみたい…もう動かせない)
でも、2回触ったことで、たまたま触れてしまった、という思い込みは防げるはず…

「い、いけない、アルカ様の大事なお人形を…」
再び両脇を抱えられ持ち上げられる私。
エリスはすぐに椅子の上には戻さず、持ち上げたままじっと私を覗き込みます。
「アルカ様…?いや、いくら似てるお人形だからってそんな…ね」
首をぶんぶんと振ると、私を元いた椅子に座らせ床に転がったときについたかもしれない汚れを拭き取るエリス。
私を覗き込んだ時に再度身体を動かそうと思ったが、やはり魔力の回復が十分でないのか、まったく動かすことはできなかった。
(うーん、数日程度じゃやっぱりあれが限度…)
エリスの誕生日の数日前に1回、満月があるが、"立ち上がってエリスにキス"ができるまで溜まるとは思えない。
先月のように満月が雲で隠れる可能性も考慮するとそこにかけるのは大変危険である。

(魔力の溜まり具合にもよるけど…ここはやはり筆記で伝えるしかないようね…)


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・


翌日の昼下がり。

「隣国へ…ですか?」
「ええ、明朝には出発して、2週間ぐらいで戻ってくる予定よ」
アルカ様が王の部屋に呼び出されたと思ったら、どうやら隣国へ外遊をなされるそうです。
15になったアルカ様も今年から王について回る、ということでしょう。

「そ、そうですか…それではできませんね」
10年ほど前から、毎年アルカ様は私の誕生に部屋で小さなお祝い会をしてくれています。
5歳のときはそれは小さな小さなお茶会でしたが、去年は厨房のコックと簡単なケーキを作っていただけたのを覚えております。
…でも、外遊に重なってしまうのであれば、しょうがないですね。
私は少し悲しくなりましたが、これも成長というものです。

「できない?なにがかしら?」
「?…あ、いえ、こちらのお仕事の話でございます、お気にならさず」
どうやら外遊されることが楽しみでそちらの意識が行ってしまっているようです。水を差さないほうがいいでしょう。
「お仕事?なにかあったかしら」
アルカ様は私のポケットに入っているスケジュール帳をひょいっと取るとペラペラとめくられます。
「あっ」
「あら、この話事前に聞いてたの?」
「え?」
アルカ様が今月のカレンダーをこちらに向けて聞いてきます。
「戻ってくる日にもうチェックがついてるわ、そうよこの日に戻ってくるわ」
「あ、は、はい。…今朝、大臣に…」
「そう。でも遅くなりそうだから、起きていなくいてもいいわ。ああ、お仕事って私がいないからお世話ができないって話ね、まったく…真面目なのね」
合点がいったのか、スケジュール帳をテーブルの上に置くと、外遊に持っていく本を探す、ということで書庫へ向かわれたアルカ様。
私はその後ろ姿を見つめ、言いようのない不安に襲われます。


―誕生日を境に人が変わったように勤勉になられ
―部屋に置かれるようになった瓜二つのお人形
―そのお人形が動いたかのような現象

そして…
テーブルの上に置かれた、私のスケジュール帳のチェックがついた日付。
「私の誕生日を…知らない?」


私の身体を見かけなくなってもう二週間。
今頃は隣国からの帰宅の途中だろうか。
私自身は流石に覚えてはいないが、あの国へ幼いころ前に1度だけ行ったことがある…らしい。
あの国には跡取りとして息子…王子がいたはず。
王子とはいえ、私より一回りも年上で、結婚、後継もそろそろでは、という噂もある。
もし私の国でも王子が居るのであれば、私は隣国に嫁ぐことに…ということもあったかもしれない。
まあそれは仮定の話。実際は私はまだ一人娘であり、このままであれば女王、ということになるだろう。
…この人形の身体から戻ることが出来れば、だけども。

人形という硬い殻に閉じ込められている私は思考を止め、部屋に意識を向ける。
そこには私という主が不在の部屋を掃除するエリスが居た。
(エリスもなにか、おかしいと思ってくれているはず…)
私がでかけた翌日に、いつもどおりの日課で私を拭くときに、声をかけたのだ。
「…アルカ様?」と。
その時は、エリスに触るという行動で魔力が尽きていたので、返事をすることも、動くことも出来なかった。
私はそれを少し後悔したのだが、あの行動が、疑惑に繋がる1つのピースだったと思えば一歩前進だ。
些細だが、今の私の中身がいつもの私ではないのではと疑惑を持っていてくれているのではないだろうか。
お世話していた王女が人形になるなど、あまりにも荒唐無稽すぎるので、そんな考えは一蹴されてしまっているかもしれないが、それに賭けるしかない。

私はこの二週間、魔力を貯め続けるために一切動かないようにしている。
エリスはそれ以降人形に話しかけるという行動に、非現実さを感じたのか話しかけることはなかった。
(チャンスは今日だけ。あいつが不在で、エリスの誕生日…そして満月)

私が考えている狙いは1つ。
とにもかくにもエリスとの身体の交換である。
もし、この魔術が私以外にも効果があるものであれば…。対象の人物の誕生日、満月の夜、という条件だけであるのであれば。
エリスと私がキスをすることで、私はエリスになることができる。
(対象が自分そっくりであること…があればこの計画は成り立たないけど…)
それは私の偽物が予め人形の中にいた事から、排除してもいいはず。確実ではないけれど。

あとは…日が落ちて、満月が確認できれば。
エリスの身体が使えれば。動くことができればやれることはたくさんある。
まず、エリスに事情を説明して、城の図書室でこの呪いについて調べて、あの老婆についても…。
うまく行けば自分の体が偽物であるということも公にできるかもしれない。
(…いや。望みすぎてはダメ。確実に慎重にやらないと)
今日、いつになるかわからないが私は恐らく帰ってくる。
欲張った結果失敗に終わってしまっては元も子もない。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

決行のときは近づいてきた。
外は暗闇と太陽が織り交ざり、オレンジ色の世界を作り出している。
エリスはいつも夕暮れ時になると、時間に部屋に灯りをつけに来る。
それは私が外出してからの2週間の間も、もちろん毎日欠かさずやってくれていた。

(来た!)

ガチャリと扉が開き、エリスが灯りを手に入ってくる。
私が座る前に置いてあるランタンにも火をつけるためこちらへ歩いてくる。

(どれくらい動けるかわからないけど…あの日ぐらいに動いて…!)

エリスがランタンに手を伸ばした時を見計らい、私は脚に力を入れてぐっと立ち上がる。
ガタン、という椅子が立てる音にエリスはびっくりしてこちらを見る。

(このままいけば…あ、あれ?)
急速に身体から力が抜けていくのがわかる。
予想よりも、いや予想以上に魔力が溜まっていないのか、消費が激しいのか…。
立ち上がった身体はかろうじてバランスを取っているものの、
しばらくすれば床に倒れることになるだろう。
(…こ、困りましたね)
エリスを押し倒し、唇を奪おうと思っていた私は戸惑う。
今の身体の重さからして、あとは腕1本を上げるぐらいで魔力は枯渇してしまうだろう。
ただ想定していなかったわけではない。
(自分から出来ないのであれば…)
残った魔力で人差し指を自分の唇をにあてる。
コツンと自分の唇に指があたった瞬間、私は身体から魔力が無くなったのを感じた。
バランスが取れない人形の身体は、ゆっくりと前に傾き…倒れた。
(エリス……お願い、気がついて)

エリスは一連の動きをあっけにとられた顔で見ていた。
「な、なにが…人形が、動いた?」
うつ伏せに倒れた人形を恐る恐る覗きこむ。
先ほどの動きはなんだったのか、ピクリとも動かない人形にエリスは恐る恐る手を伸ばし、仰向けに転がす。そしてその人形が取るポーズをみて、少し前に抱いていた疑惑を思い出す。
「これは…まさか」

エリスはごくりと喉を鳴らす。
しばし迷った素振りを見せた後、エリスは-。


-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

「おとうさま!ちゅーして!」
「おかあさま!ちゅーして!」
「エリス、ちゅーして!」

アルカ様は幼いころ、親しい人に会う度にキスをせがむ時期がありました。
幼い子どもとはいえ、王女。そんな不敬なことは出来ないという城内の人間が大半でしたが、
付き人だった私は最初はやむなく、せがまれる度に頬に触れるか触れないかぐらいの軽いくちづけをしていました。
「こんどはここ!」
アルカ様が人差し指でおでこを指す。それがすむと
「こんどはここ!」
と別の場所を指す。
私はふぅ、と溜息をつくと
「いいですか、アルカ様。女性たるものそんな風にキスを求めてはいけません」
「えー、どうして?いいじゃない!」
こんなやり取りをどれほどしたでしょうか。

「わかったわ!もうせがまない!」
ある日アルカ様は宣言しました。
「そのかわり、寝る前、してほしいところに指をさすから!エリスはそこにおやすみのくちづけをしてちょうだい!」

その日から、「ちゅーして!」という誰彼構わず言わなくなり、
それは私とアルカ様の間だけ、寝るときにキスをするというハンドサインになりました。
まあ、この習慣も数年たって1人で寝ることに寂しさを覚えない年頃になってからは、フェードアウトしていったのでした。


-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

人形が、指で唇を指して倒れているのを見た時、そんな思い出が頭のなかで再生されました。
私は確信には至らないまでも、何かが置きていることを自覚しました。
この人形が贈られた誕生日から、アルカ様らしくない振る舞いをするのにも何か関係があるのかもしれません。
このお人形にどのような仕掛けがされているかはわかりません。
ただ、このハンドサインを知ってるのは、幼いころから一緒に過ごしてきたアルカ様だけ。それだけで十分でした。

私は思い切ってアルカ様の唇に、自分の唇を重ね合わせたのでした。



 エリスが、私に口づけをした瞬間、視界は真っ暗となり、体中の感覚も消失する。
そしてこの作り物の身体から無理やり引き剥がされるような感覚が襲ってくる。

恐らく魂というものが存在するのであれば、これがそうなのであろうと私は思った。
引き剥がされた意識はそのまま人形の口を通り、エリスの口へと侵入する。
エリスの口へ入る瞬間、懐かしい温かみのあるものとすれ違う。
(多分、いまのはエリスの魂…。…ごめんなさい…エリス)

一瞬のことだったのだろうが、長い時間にも感じられる。
静寂と薄い暗闇に包まれた自分の部屋が視界に入ってくる。
目の前には私そっくりのお人形。それを支えている自分の両手。

私は何ヶ月ぶりだろうか、両の目で瞬きをする。
人形から両手を離し、手の動きを凝視する。
顔に手を当て、自身が人間の感触であることを確認する。

「ああああっ…!!!!」
動けるっ…!動けるっ…!動けるっ…!
世界一狭い牢獄に閉じ込められていた私は、自由に身体が動かせることに震える。
「あー、あー…」
改めて声もだして見る。
声も出せる…。
自由に動けることがこんなにも素晴らしいことだったなんて。

私はしばらくその感動に浸かっていましたが、時計をみてハッとします。
(私の身体がもう帰ってきてもおかしくない時間…、急がないと)

慌ててエリスの肩を支え、目を見ながら語りかけます。
「エリス、あまり時間がないから、落ち着いて聞いて」

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(…アルカ様が誕生日から別人だった…なんて)

自分の身体が全く動かなくなり、目の前に私そっくりな侍女が急に現れたときは
何事かと思いましたが、説明を聞くに、目の前の侍女は私そのものだったようです。

つまり今私はアルカ様そっくりのお人形の中にいて、
私、エリスの身体にアルカ様(本物)が入っておられて
アルカ様の身体に、全く別の何者かが入っている…ということ。
私はそのようなアルカ様の状況に気がつけなかったことに、深い悲しみと悔しさを感じました。
長年連れ添ってきた、という自負はありましたが、未熟の極みでしょう。
「エリス、安心して。今日中にまた儀式をすれば、貴方はもとに戻れるわ。でも、戻ってくる前に調べたいことがあるの…すぐ戻るから」
真剣な顔をした私の顔は鏡では見ることはないので、不思議な、新鮮な感じがします。
アルカ様はちらっと時計を見てから、窓を通して城門のほうを眺めます。
「まだ、時間はある…書庫へいってくるわ」
そう言うと、私の身体は部屋から飛び出していってしまいました。
バタン、と閉じられた扉で部屋はまた静まり返ります。

(…さて、この状況にも慣れてきましたし、こちらもできるだけ把握に努めますか…)
視界は先程からずっと固定。焦点は多少融通は聞きますが、視界の端はぼんやりしたままです。
首はもちろん眼球も動かせないようです。
まぶたももちろん動かず。いつもは意識せず行っている呼吸や瞬きも起きないようですがこれはこれで慣れませんね。
腕や手、指先もピクリとも動きません。
アルカ様はどうやってるかは知りませんが、動かす方法はあるようです。
(身体の感覚は…ありますね)
触覚、というのでしょうか。自身がアルカ様のドレスを来ている感触があります。
下着は…あっ。
上下とも不要、ということで私が取っちゃったんでした…。
アルカ様、申し訳ありません。
(できることが終わってしまいました。この状況で数ヶ月も…私だったら耐えられるでしょうか。…あら?)
日も落ちて暗くなったシンと静まりの中、僅かですが馬が駆ける音が聞こえてきます。
(早馬…?あっ)
あれは恐らく王様一行がもうすぐ到着することを伝えに来た早馬でしょう。
馬の足音が城門の前にとまると、日暮れに一旦閉められた城門が再び開くギギギ…という音があたりに響き渡ります。
その音に起こされたかのように城内もやや慌ただしくなります。
あと小一時間もすれば王の馬車も到着することでしょう。
そしてそこにはアルカ様の偽物もいるはずです。
(アルカ様…急いで下さい…!)

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成熟した大人なエリスの身体は、私より背も高く、足も長い。
そして普段から労働をしているからか、体力もある。
エリスが来ているメイド服も、私は着たことがなかったが、思った以上に機能性、運動性に優れているようだ。
久しぶりに動かす身体に、なれないところはあったが、
大した息切れもせず、なんなく書庫までたどり着くことができた。

廊下に誰もいないことを確認し、書庫の扉に滑り込むように入る。
そして訪れたことがない部屋の奥の方へと向かいます。
「確か…このあたりに魔術に関する本があったはず」
人形との入れ替わりの魔術、などというピンポイントな書物が見つかるわけがないし、
あったとしてもこの短時間で読むことなどできるはずがない。
私が残された時間で読むべき本が、知識があるはず。

「これでもない…あれでもない」
大量の本の背表紙を人差し指で流れるように舐めていく。
時間だけが過ぎていく。
エリスに状況を伝えられただけでもマシではあるが、できるのであればさらに手土産は欲しい。
(これだ!)
効率的魔力運用…とでも読むのか、古語で書かれたタイトルの本を1冊、抜き出す。
本はかなりの厚みがあり、全てを読むことはできないが、できるだけ、時間が許す限り読む!
私は周囲の音が届かない書庫の奥で読みふけった。

しばらくして、私は読み進めた本を慌てて閉じた
「いけない、時間…」
書庫にある時計を見ると、すでに1時間は過ぎている。
(全部読みたいけど無理ね。そろそろもとに戻らないと)

本を脇に抱え、部屋に戻ろうとしたとき書庫に誰かが入ってきた。
あの姿は見間違えようもない、私だ。

(…!)
書庫の奥の方にいる私は、まだあいつの視界に入っていないようだ。
できれば見つからずに外に出たいが、出入り口は1つ。音を立てずに出ていくことは難しい。
(あいつより先に部屋に戻らなければ…)
日が変わるまで余裕があるとはいえ、あいつが部屋にいるときに人形に口づけをすることはできない。
そんなことをしたら企みは全てバレてしまうだろう。
もう機会を伺っている時間はない。私は思い切って踏み出した。

「ア、アルカ様、お帰りなさいませ」
私の身体がこちらを見る。
「あら、エリス。珍しいところにいるのね。部屋の明かりもついてなかったわ」
「申し訳…ありません。夜に読む本を選んでおりましたらつい…」
エリスを徹底的に演じる。大丈夫、ずっとエリスといた私だもの。大丈夫…!
「そう、随分熱心に探していたのね。そんな奥にいたら外の音も聞こえないでしょう」
「はい、アルカ様のお帰りにも気づかず…大変申し訳ありません」
「気にしていないわ、帰りが予定よりも遅れたのは事実だし」
そんな急いで帰ってこなくても、明日でもよかったのに、と内心思う。
「私も本を選んだらすぐに部屋に戻るわ、エリス、あなたも今日はもう休んでいいわ」
「はい、ではお先におやすみなさいませ」

ホッとしつつ書庫の扉へ手をかける。
「ところで」
予期せぬ声がけにビクッと身体が震える。
私の身体のほうへ向き直る。
「は、はい」
「…?どうしたのそんな驚いて。何の本を借りたのか教えてもらおうと思ったのだけど」
「た、ただの恋愛の…小説です」
「そう、奥にそんな本があるのは知らなかったわ。読み終わったら感想を聞かせてくれる?面白かったら是非読みたいし」
「かしこまりました」
一礼すると私は素早く書庫からでる。
「ふぅ…なんとか…バレずにすんだわね…」
私は深く一息つくと、自分の部屋へ足早に向かった。

急いで部屋に戻ると、人形は椅子に座っておらず、床に倒れたまま放置されていた。
どうやらあいつは一旦部屋に戻ってきて、私の身体を押し倒していったようだ。
「エリス、ごめんなさい。…元に戻りましょう」
もちろん人形からは返事がなく、動くこともない。だが中にはエリスがいる…のだ。
丁寧に、やさしくエリスを持ち上げ、椅子に座らせる。
私そっくりの人形の顔は、誕生日のときに見たときのまま、同じ笑みを浮かべている。
…元に戻れば、半年はまたこの身動きができない人形の中で過ごすことになる。
もちろん、今はもう事情を全て知ったエリスがいる。
戻るために何かと協力はしてくれるだろう、でも…。
(ここで…このまま日が変われば…)

一瞬浮かんでしまった邪な考えをブンブンと頭から追い出す。
私が戻るべき身体は、自分の身体。
最短で全て元の鞘に戻すためにはここで私は人形に入っておく必要があるのだ。
エリスを犠牲にしても得られるものはなにもない。
(大丈夫、さっきの本にあるとおりにすれば、いままでよりうまくいくはず…)

「エリス、お願い。もとに戻ったら、この本の続きを私に、読むか見せるかしてちょうだい。半年後の私の誕生日までにはもとに戻る為の作戦を…立てるから」

私は人形の肩を抱きかかえる。
「ありがとう、エリス」
私は自分そっくりな人形に、そっと口づけをした。

4 件のコメント:

  1. pixiv時から面白いように小説を読みました
    私が本物来て夜は魔法少女はこれ以上の話はなく、まだそれで終わりですか。 気になって書き込み残してみます
    (翻訳機を使用して文章が以上することができます ご了承ください)

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  2. この話結構好き。アルカとエリス関係もそうだけど、悪いことしてる割には何か目的がありそうな偽物も気になるところ。

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  4. この後どうなったのかが気になります。

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