2018/04/30

あなたを着てさしあげます

遅くなっちゃった…バス間に合うかな。
水泳部の練習終了後、顧問に呼び止められ話を聞いていたら既にあたりは暗くなっていた。
でも、顧問から告げられた次回の大会の選手に選ばれたという喜びは大きい。
いつもより暗く心細いバス停までの道のりも、この興奮と嬉しさの前には屁でもない。
ライバルも多い中で、毎日遅くまで残って練習したかいがあったというものだ。
強豪校の代表選手、これはもう大学推薦も夢ではないですなあ。
うふふと内心笑いながら角を曲がる。



「あのぅ…お忙しいところすいません」

急に後ろから声をかけられひぃ、っと一瞬声が出そうになる。
背後を振り返ると、そこには少しくたびれた背広を来た中年の男が立っていた。

(…いつの間に…。人の気配を感じなかったけど…)

浮かれていて周囲の警戒を怠っていたかもしれない。
学校でも家でも不審者には気をつけるようにと言われたばかりだ。

「なんでしょう…?」

若干警戒をしつつも、道に迷っていて困っているのかもしれないと思い直して、返事をする。
ビジネス鞄を両手で持っている中年はあたりをきょろきょろしながら不安そうに尋ねる。

「このあたりに流水高校、という学校があると思うのですが」

学校関係者だろうか。
張り詰めていた緊張が緩む。

「はい、私の高校ですけど」
「ああ、そうなんですか」

ほっとした感じで胸をなでおろす中年男性。

「学校でしたらこの道を…」

私は来た道を振り返り、指し示そうとする。

「ああ、いえいえ学校を探しているわけではないのです」
「はあ」

「その高校に通われている水樹さんという水泳部の方を探しておりまして」
「えっ、私?!」

突然の名指しに驚き、つい漏らしてしまった言葉に私はしまった、と思った。
こんな夜に私を探す見知らぬ中年に心当たりなどはない。
緩んでいた警戒心を一気にMAXにする。

「ああ、これまたラッキーですな。あなたでしたか」
「い、いえ…。なんの用でしょうか…?」
「大したことないんですよ。とある依頼がありましてね」
「依頼…?」

中年はこくりとうなずく。

「早く泳げる水着が欲しい、とのことで」

は?水着…?
中年のよくわからない言葉と同時に手に持っていたと思われるライトをこちらへ向けてきた。
ライトから放たれた光が目に入り、残像で視界が見えなくなる。
平衡感覚がなくなり、ふらふらと足がふらついたかと思うと私はそのまま床に倒れた…ようだ。


「ようだ」というのは、私が倒れた衝撃を感じなかったからにならない。
身体は地面に横たわっている感触があるが、手足が痺れているのか、麻痺しているのか、立ち上がることができない。
視界は真っ暗なままで、いつのまにか身体全体を覆うように布がかぶさっている。

(な…にがおきたの?)

光を浴びてからの不思議な出来事に思考が追いつかない。
何が起きたのか、何故私は倒れて動けないのか。
"動けない"…そう思った瞬間に目の前にいた中年男に襲われるのではないかという恐怖心が生まれる。

助けて!

そう叫ぼうとしたのだが、口も上手く動かせない…口の感触がない。
少し冷静になって手足の感覚を探ってみるが、痺れている…と思っていたがそもそも感触が消えていることに気がついた。

(う、嘘でしょ…私の身体どうなっちゃったの)

逃げようと残された胴体の感触を頼りを身体をよじり、這うようにして逃げようとするが
身体も思ったように動かすことができない。
もぞもぞ…と衣擦れの音が少しするだけで覆われた布から這い出ることすらできなかった。
その這いずりも徐々に動かせる部位が少なくなっていき、しばらくすると身体は全く動かなくなってしまった。

(あのライトを浴びたから…?なんなのあの男…!)

覆われた布越しでもまだ中年がそこに立っている気配を感じる。
目がくらんだ一瞬で、私を袋詰にして、麻酔みたいな薬を使ったりして麻痺させたのだ、と察する。

「ようやく終わったみたいですね…動かなくなりました」

がさごそと私を覆っている布を取り除くような音が聞こえる。
そして周囲の涼しい風が入り込んでくると同時に私の身体を男の手がギュッと掴んだ。

(ひっ)

一瞬身体を撫で回す気か、と思ったがそうではないようだ。
ようやく外の景色が見えた私の視界に中年男の顔が入る。

(ちょっと!何したの、戻しなさいよ!)

必死に怒声を浴びせようとするが、口は動かない、声は出ない、周囲はシン、としたままだ。

「お、さすが水泳部見事なもんですな、じゃあこれに入ってもらいますよ」

そうつぶやいた男は片手に持った小さな紙箱の蓋を開ける。

(そんなところに入るわけが…えっ)

ギュっと言う音と共に私はその箱の中に押し込まれてしまった。
先程軽々と持ち上げたときもおかしい、と思ったがどうやら私の身体が小さくなっているらしい。

(そんなことあり得るわけない…けどどうなっちゃったのわたし)

紙箱の蓋が締められると再び視界は真っ暗となった。

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どれくらいの間暗闇の中でじっとしていただろうか。
何も出来ない中、私は自分の身に起きた状況を考える。

(かなり時間が立ったけど…手足の感触が戻らないし、真っ暗だし)

…揺れを感じることから中年男は私を閉じ込めた状態で移動をしているらしい。
持っていたカバンにさらに詰め込まれたせいか、周囲の音は全く聞こえない。

身体も力が入らないのか、くたっと力なく曲がったまま動かせる気配はない。

(まるで人形にでなっちゃったみたいな…)

あの男、なんて言ってたっけ…。

依頼があって、私を探していて…水着が欲しい?
今日の部活で着ていた水着だろうか。それであれば部活カバンの中に入っている。
ソレがほしいのであれば気持ち悪いけど、さっさと持っていって欲しい、と思う。

(でもあれは練習用で早く泳げる水着じゃないしなあ…)

そもそも、そうであれば私を動けなくしてさらう理由がわからない。
結局男の目的がわからないまま、そして微動だにできないまま時間だけが過ぎていった。


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「………!」
「………」
「…!」

眠ってしまっていたのだろうか。
周囲から聞こえる2人の声で意識が呼び起こされる。
2人共どこかで聞いたことがある声だ。1人は先程の中年だが、もうひとりは…確か。

「じゃ、この中にいるのね?」
「はい、あなたのご所望どおりに」
「すばらしいわ!」

ああ、この声は同じ水泳部の立花鏡華だ。
同学年で、今回も最後まで私とタイムを争っていた。

「はやく、見せて!」
「はいはい…どうぞ」

ガサッという音とともに視界上部に光が差し込んでくる。
視界をそちらに向けると、私を覗き込んだ鏡華の大きな顔が目に入った。

(こ、こわっ)

鏡華は箱を持ち上げるとそのまま逆さまにブンブンと降る。
動けない私はそのまま紙箱からずり落ちるように逆さまに落下し、パサリと横たわった。

(…?なにいまの布が落ちるような音)

「本当にこれが水樹さんなの?あなた適当に言ってないでしょうね」
「いえいえ嘘は申しません」
「証拠は?」
「先程見せた制服やカバンだけではダメですか、疑い深いですね」
「当たり前でしょ」
「…ではその水着を持ってみてください。触っていれば意思の疎通ができますよ」
「…ほんとかしら」

訝しげな顔をした鏡華が私に向かって手を伸ばしてくる。
避けようにも動けない私はあっさりと彼女の手に捕まってしまい、軽々と持ち上げられる。

(離してよ…!なんで声がでないの…!)
「あら、ほんと!彼女の声が聴こえるわ」
(えっ?)
「離してよ、って」
「肌が触れている間だけですがね」

「なんで声がでないのですって?うふ、出るわけないじゃない。ねぇ?」
「ああ、まだご本人は状況がわかっていないと思いますよ」
「あら、そうなの?」

(鏡華、私に何をしたの…、こんなことやめて?)

「んふふぅ」
ニヤリを笑みを浮かべた鏡華が私を掴んだまま姿見のほうへ歩む。
「じゃーん!これがいまのあなたです!」

姿見の前には鏡華しか映っていない。
否、人間は鏡華しか映っていない。

鏡華が手に持っているものは映っている。
それは小さくて、黒、紺色が主体で、布みたいで…
私が毎日見たことがあるものだ。

(え、え?う、うそ…)

鏡華が手をブンブンと降ると私の視界と、目の前に映った彼女とその物体が同じようにブンブンと揺れる。
そう、それは部活で私たちが着ているもの。

(わ、私…)

「ようやく理解できまして?あなたはいま水着になっているのですわ」

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「では鏡華様、お代の方は必ずお支払いください」
「わかってますわ」
「お支払いいただけないと、水樹さんのようにされてしまいますよ」
「…わかってますわ、300万、明日までに」
「はい、では」

そう言うと中年は外へ出ていった。
鏡華の部屋の残された私。

手に掴まれたままの私は問いかける。

(なんでこんなことを…)

「ふん、当たり前ですわ、私を差し置いて代表などと」

(だってタイムは私のほうが上で…!)

「私は水泳部のエースとなるべくスカウト入学をしたんです、なのに補欠だなんてありえませんわ」

そんなくだらないプライドのために私をこんな目に合わせたのか。そもそも鏡華は入学当初はともかく、今はタイムをあまり伸ばせず今回も2位ですらなかったはずだ。

(他の部員も同じ目に合わせるつもり?大問題になるし、必ず怪しまれるわよ)

「まさか。そんなことはしないですわ」

水着の肩ひも部分に指に通し、くるくると回す。
私の視界はぐるんぐるんと周る。

「水着の役割って何か知ってますでしょ?」
(知ってるけど、それが…ってまさか)

「まあ、物は試しですわね」

そう言うと鏡華は私を机に上に放り、服を脱ぎだす。
あっという間に一糸まとわぬ姿となった。

そして私を手に取る。

(や、やめて、ちょ、ちょっと引っ張らないで…!)

競泳水着はもともと着る、というより身体を覆う、と表現したほうが正しいぐらい密着させるものだ。そのため着るためには想像以上に引き伸ばさないといけないし力がいる作業となる。

私の悲鳴を聞こえないふりをして鏡華はどんどん手を進める。
身体を思いっきりぐい、ぐいと引き伸ばされ、徐々にひっぱりあげられていく。

(ぐ、ぐ…う)

薄く引き伸ばされた私はピッタリと鏡華に張り付いた状態になる。
身体の内側に鏡華の皮膚が直接当たっているのを感じて気持ちが悪くなる。
股間も隙間がないぐらいぴったりと密着している。

「うふふ、サイズもぴったりですわね。デザインはいまいちですけど」
(何する気…?)
「水着を着たらやることは1つでしょう?泳ぐのよ」

そういえば鏡華の家は豪華で家にプールがあると自慢していたのを聞いたことがある。
鏡華は水着姿のまま部屋を出ると、プールがあるであろう方向へ移動を始める。

(あ、汗が…)

競泳水着は着るのに体力を使う。
初めて着る場合は伸びていないこともあって、1人で着るのが難しいぐらいだ。
そのためか鏡華の肌からはうっすらと汗にじみ出てくる。

彼女に張り付いてるだけの私は、彼女の動きに合わせて動くことしかできず、汗に対しても何も抵抗することができず、ただただ吸収するだけだった。

―プール。
彼女の動きに合わせて泳がされている感覚はものすごく違和感があるものだった。
50mを泳ぎを終えてタイムを読み上げる鏡華。

「どうです?」
(そ、そんな…私のタイムと同じ…?)
「人間だった時と同じタイムが出せるのですわ。大会もあなたを着て出てさしあげますわ。よかったですわね。念願の大会に出ることができますわよ」
(ひどい…!私の努力をなんだと…!)
「ええ、私の為に努力していただいてありがとう。これからも水着として私の為に努力してくださる?」

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―2年後。

もうすぐ部活の引退が近づいてきました。
高校新記録を出しましたし、もうすぐ学校推薦も決まります。
順風満帆という言葉がふさわしいぐらい順調ですわ。

ふと、1年生のときに着た水着を思い出しました。
そう、途中から予想以上にタイムが伸びてきたので、着なくなった水着…水樹さんでしたっけ。
どこにしまったかしら、と気まぐれにクローゼットを漁る。
ああ、ありました。
ひょいっと水着をつまみ上げると彼女の声が私に伝わってくる。

(……ああ、たすけて、たすけて…お願い)
「うふふ、お久しぶり水樹さん」

1年近く引き出しの奥に閉じ込められていても、正気を保っているのはすごいかもしれない。

「もう私にはあなたは不要ですので戻して差し上げてもいいんですけども」
(…ほんと!?おねがい…!)

「ごめんなさい。戻し方は知らないんです」
(そ…そんな…)

嘘ではない。あの男からもらったのは水着だけなのだ。

「でももう、あなたを着ると逆に遅くなってしまいますし…捨てようかしら?」
(え、やめてください…捨てないで…!)

うふふ、どうしようかしら…?
後輩に譲ってあげてもいいですし、あ、男性に渡すのも面白そうですね、どちらもちゃんと使ってもらえそうですし…とりあえず学校に持っていってみましょうか。
私は水着をカバンに放り込み、部屋を出る。

今日もいい天気。朝練としてランニングをするのもいいかもしれない。
そう思いながらバス停がある角を曲がる。
そんな私の背後からどこかで聞いたことがあるような弱弱しい男の声が聞こえた。

「あのぅ…お忙しいところすいません」


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