2018/04/03
変化ウィルス(1)
私はそろそろ起きて支度をしないと…と起きようとするが身体が動かない。
(あ、あれ…。腕が…って腕だけじゃない、全身が動かない…)
ああ、季節の変わり目で油断していた。
いつもお母さんが口酸っぱくあんたは身体が弱いんだから体調管理をしないと、というお小言を思い出す。
虫歯になってから歯を磨いても遅いのと一緒で、後悔はいつも先に立たない。
(…あー、あー。ダメだな声もでないや。視界も動かせないし今回はなんだろう)
数十年ぐらい前からだったか、風邪というものに特効薬が発明され、不治の病と呼ばれた癌も克服した人類に襲った新たなウィルス。
人間が持つ高い抵抗力と医術に対抗する為にウィルスが取った進化は、牛、イヌ、鹿-恐らく過去にウィルスが繁殖に成功した種だろう-人間をそんな生物に変化させ、自身の繁殖を試みることだった。
発見された当初は、感染力の強さから人類滅亡の危機とまで言われたウィルスであったが、
1か月程程で元に戻ることが確認され、世界は安堵したのだった。
今では研究が進み、薬の投与によって10日ほどまで期間は短縮できるようになっている。このウィルスが根絶されるのも時間の問題とまで言われている状況だ。
…しかし動けないのはどういうことか。
半年ぐらい前に豚ウィルスにかかった時はまるまる太った身体と短い手足ではあったが、すぐに4つ足で立つことができた。
人間の言葉を発することはできなかったものの、単純な感情を伝える程度の鳴き声を上げることは可能だった。
「アケミ、いつまで寝てるの?学校遅刻するわよってアケミあなた…!」
(お母さん!ちょっと起こしてー)
お母さんは私の変化に気がついたのか慌ただしく出ていった。
(あ-ちょっと!…私いったいどうなってるのー)
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往診に来た医者がひと目見て判断を下す。
「最近流行りの、典型的なシリコンウィルスですね」
「は、はぁ…シリコンってあの?」
「身体の組織が一時的にシリコン樹脂のようになるウィルスです」
「…そんなものもあるんですね」
「巷では通称人形ウィルス、とも呼ばれています」
全く動かなかった身体を起こしてもらい、ベッドに腰掛けた状態の私。
両腕を支えにして座った体勢を維持している。
眼の前にある鏡に映る私は、いつもより若干テカテカして、顔は無表情のままだ。
唯一動かせる眼球と瞼だけが私が人間だったことを証明している。
「一度宿主に決めたら、他者に感染はしませんので看病は普通にしていただいて結構です」
…前の豚ウィルスのときは感染の恐れがあるからって隔離病棟へ搬送されたんだった。
「とはいえ」
医者はごほんと咳をする。
「今、アケミさんは体内の臓器や骨まで含めてシリコン化しておるので食事も排泄もできません。なので看病、といってもやることはほとんどないわけです」
「は、はあ…なるほど」
「ウィルスが繁殖しきって死滅するまでの間、涼しい場所に安置しておいてください。シリコンが溶ける温度になってしまうと危険です」
(安置って)
「あの、短縮薬のほうは…?」
お母さんが尋ねる。私も気になっていた。
「残念ですが」
医者はやれやれとため息をつく。
「いま、アケミさんが人間として残ってる部位は脳だけです。あ、目は脳とつながってますから一緒ですよ。その他、骨や臓器、血管も全てシリコンとなっておるのです。腸や胃もシリコンとなっていて吸収されない。薬の投与ができんのですわ。水を飲んでもそのまま肛門や股間から排出されてしまいますので」
…なんてこった。
「短縮薬に対する耐性を得た一種の進化、と唱える学者もおります。」
(そんなので本当に命に別状がないのかな)
「母体に死んでもらって困るのはウィルスです。謎の多いウィルスですが、そこだけは確実です」
私の視線を読み取ったのか医者がそう付け加えた。
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医者が出ていった後、お母さんは私をベッドの上に横たわらせる。
熱がこもらないよう布団はかけないで置いてくれた。
「本当、お人形さんみたいね」
全く動けない私はされるがままである。
どうやら骨は若干固めに変化しているらしく関節部分もある程度固定することが可能のようだ。
「ぷっ…あはは」
足をガニ股のようにされ、片手を頭の上に、もう一方をお腹の上に、両腕がSを描くように固定された。
昔流行った漫画のキャラが取るポーズだ。
(お母さん!)
非難めいた視線に気がついたのか、舌をペロッと出して元の体勢に戻してくれた。
「でもすごいのよ。ちゃんとピタってとまるの」
私の右手が天に向けるように伸ばされる。
そこから徐々に倒すように傾けていく。
45度ぐらいになったところでお母さんは手を離した。
しかし、棒で固定されているかのように腕は動かない。
(すごい、まったく疲れない。ずっとこのままあげていられそう…)
「さて、無事ってわかったのだからホッとしたわ。お母さんちょっと家事やり残してるから。また様子見に来るわね」
お母さんはそういうとバタバタと部屋から出ていった。
残された私は静かになった部屋のなかで唯一人、横たわる。
(植物人間ってこんな感じなのかな。ずっとこのままだったらおかしくなっちゃうのかも)
後から知ったことだが、姿が変わってしまった人間が悲観して死んでしまわないよう、穏やかな気分にさせるホルモンをウィルスは生み出すらしい。
私が全く動けない、という状況に対しても同じように作用していた可能性があるとのことだった。
さっき鏡で見た私はマネキンとまでは行かないまでもちょっと精巧なお人形さんです、と言われれば納得してしまいそうな質感だった。
例えばデパートのマネキンとして飾られている私を、知らない人が見れば人間だとは思わないだろう。
ロングストレートだった髪の毛と、眼はそのままだったため、生々しさは若干残っていたが。
あ、一応眠くなるんだ。横になっているせいか瞼が重たくなってくるのを感じる。
平日だったが、私は優雅に二度寝をすることにした。